――哲学者マラブーの方法そのものを呈示――門林岳史 / 関西大学教授・美学・美術史週刊読書人2021年9月3日号真ん中の部屋 ヘーゲルから脳科学まで著 者:カトリーヌ・マラブー出版社:月曜社ISBN13:978-4-86503-108-9 本書は、近年相次いで訳書が出版され、日本語での紹介が進んでいる哲学者カトリーヌ・マラブーの論文集である。著者マラブーは、フランス語圏におけるポスト構造主義や脱構築の思想をもっとも正統的に現代に継承する人物のひとりと言ってよいだろう。それとともに彼女は、初期の研究でヘーゲルの哲学体系から取り出した可塑性概念を神経科学における可塑性概念と接続し、器質性精神障害、遺伝子治療、そしてより広範囲なグローバル資本主義社会の問題へと議論の射程を広げてきた。本書はフランス語原著が二〇〇九年に出版されており、ジャック・デリダの指導のもと執筆された博士論文にもとづく最初の著作『ヘーゲルの未来』(原著一九九六年)以来、十数年にわたって執筆された論考が収録されている。 序文によれば、本書タイトルは訳者のひとり西山雄二の発案によるという。すなわち、二〇〇〇年代初頭頃、マラブーのもとに留学中の西山は彼女から論文集の構成について相談を受け、彼女と脱構築の関係が「ヘーゲルへの関心と脳科学に関する研究の「真ん中の部屋のようなもの」になっている」と提案した。そして、それが本書のタイトルになった、というのである。実際、本書は、ヘーゲルとハイデガーをめぐる初期の論考を中心に編まれた第一部と、脳科学や再生医療をめぐる比較的近年の論考を収録した第三部のあいだに、レヴィ=ストロース、ニーチェ、バトラーなどやや雑多な対象を脱構築的に読解する論考を集めた第二部がはさまっている。のみならず、第一部と第三部の論考でも脱構築的読解の手法が随所に発揮されているので、西山の提案は、本書の構成のみならず、マラブーがたどってきた思考の軌跡の見取り図としても的確である。 このようにして本書は、マラブーの仕事の全体像を概略的につかむことができる書物であるが、それと同時に各部五本ずつ、計一五本の章は完全に独立した論考として読むことができるので、各自の関心にあわせてつまみ食いするのもよいだろう。比較的短い章が多いので、マラブーの濃密にして難解な議論を集中力を切らすことなく読解するプラクティスとしても本書は有用である。マクルーハンのメディア論に触発されながら、ヘーゲルのなかにありえたメディアをめぐる思想を探る第一章「ヘーゲルと電気の発明」、精神分析理論と格闘するジュディス・バトラーの論述のなかに、性的アイデンティティの構成における根源的契機としての喪失を摘出する第一〇章「性的アイデンティティの構成において何が失われるのか」など、著者の中心的な主題からやや離れたところに位置するテーマにおいても本書は読みどころが多い。また、第一一章「神経の可塑性をめぐるイデオロギー的な争点」と第一二章「神経生物学的理性批判のために」は、心を脳の機能に還元する神経科学的還元主義との対話を通じて、還元主義に追従するのでもそれを否認するのでもない哲学や批判理論の新たな課題を明確にしている。これは、一九九〇年代の「サイエンス・ウォーズ」――あるいは「「知」の欺瞞」論争――以来、ポスト構造主義に突きつけられてきた疑義に対する最良の応答のひとつである。 本書のタイトル『La chambre du milieu』の「milieu」は、日本語訳の通り「真ん中・あいだ」という意味だが、同時に「(社会・自然)環境」や「(微生物などを培養する)媒質」といった意味も持ちあわせている。すでに述べたように本書に読まれるのは、明確な主題や問題意識にもとづいた体系的論述ではない。むしろ本書は、マラブーが個別の著作で先鋭化させてきた問題構成に対して背景に引きさがる「環境」を構成しているのだと言うべきだろう。そして、彼女が師デリダから受け継いだ脱構築の手法が、それぞれの主題を鮮やかに浮かびあがらせる「媒質」として機能している。本書が何についての本なのかを簡潔に述べるのは難しいし、また、その必要もない。そのかわりにはっきりと言えるのは、本書がカトリーヌ・マラブーの方法そのものを呈示しているということである。(西山雄二・星野太・吉松覚訳)(かどばやし・たけし=関西大学教授・美学・美術史)★カトリーヌ・マラブー=一九五九年アルジェリア生まれ。キングストン大学教授・独仏近現代哲学。著書に『わたしたちの脳をどうするか』『ヘーゲルの未来』『新たなる傷つきし者』など。