書評キャンパス―大学生がススメる本―二宮響子 / 共立女子大学国際学部2年週刊読書人2020年11月27日号となりのイスラム著 者:内藤正典出版社:ミシマ社ISBN13:978-4-903908-78-6 イスラームを信仰する人々をムスリムという。彼らは、唯一神アッラーに全てを委ねる。特定の信仰を持つ人の多くない日本で暮らしていると、宗教と深く関わる機会は少ないかもしれない。しかし、イスラームを理解することは、多くのムスリム移民が暮らす現代日本にとって有益であることは疑いようがない。しかしながら、目につくのは、テロリズムなどの負の側面ばかりである。なぜ暴力による応酬が続くのかということにとどまらず、報道では目にすることの少ないイスラームやムスリム自身の性格を知りたいと思い、この本を手に取った。 長年、ムスリムや欧州に移住したムスリム移民と対話を重ねてきた著者は、彼らをこう捉える。「線引きをしない人々」であると。線引きをしないとはどういうことかを知るために、まず線を引くということについて考えたい。ムスリム移民の視点を通して西洋社会を見つめると、線を引くとはまさに、世俗主義を採用した西洋的近代化の歴史である。世俗主義とは、宗教と政治に線を引くことであり、それによって社会を進歩させてきたのだ。加えて、植民地に線を引き、緩やかな共同体であった地域を一方的に分断したのも西洋の歴史である。 現代社会の深刻な問題であるイスラム国。著者はこの組織を、「イスラムの病」であるとする。もともとは国境などなく、様々な宗教や民族が共に暮らしてきた中東・イスラーム社会。そこに生きてきたムスリムの生活が、国境という線引きによって奪われてきたことで、この病が深刻化した。イスラム国は、独自の線引きによって、その主張に反する者全てを敵とみなす。そして、線の外側に対しては、非人道的な暴力に訴える。彼らは、線引きをしないイスラームの伝統に徹底的に反している。テロリズムとの戦いは、イスラームとの戦いではないのである。 それでは、線引きをしないムスリムとはどういった人々なのだろう。神と共に生きることこそが人生であると考えるムスリムは、全てを神に委ねる。これこそ、イスラムが世界に多くの信徒を持つ所以たる「救い」なのである。例えば、夫婦が子供を授かるか否か。こういったことも神に委ねられている。そのため、夫婦に子がいるかいないかによって、他人が評価をすることはない。子のいない夫婦がしばしば肩身の狭い思いをさせられる日本には、この様な考え方が参考になると著者は言う。本書の面白いところは、このように、日本人の視点を常に意識している点にある。友人との交流や研究を通してイスラームを体感してきた著者の体験談を読んでいると、物理的には遠いはずのムスリムの生活を垣間見ているように感じられる。 しかしながら、ムスリムという言葉で彼らを十把一絡げに定義してはならない。神の教えに忠実な人もいれば、ある部分では世俗化している人もいるからである。神と対峙するのはあくまで個人であり、他人に促されるべきことではない。つまり、線引きをしないのも、神に全てを委ねるがゆえなのである。 著者はまるで読者のとなりにいるかの様に語りかける。読者と自身の間に線引きをしないことで、線を引かないということを実践しているように思う。おそらく、ムスリムと非ムスリムを分けて考える必要はない。互いのあり方を、双方がそのまま認めれば良い。信仰や国籍に関係なく相手を尊重することこそ、線を引かないということなのだと思う。★にのみや・きょうこ=共立女子大学国際学部2年。展覧会へ行ったことをきっかけに、木版画を始めました。今は葉書サイズですが、いずれは大きな作品に挑戦したいです。