――「早すぎた本格怪奇作家」、英国ゴシック文学の先覚者――東雅夫 / アンソロジスト・文芸評論家週刊読書人2021年8月20日号平井呈一 生涯とその作品著 者:荒俣宏(編)/紀田順一郎(監修)出版社:松籟社ISBN13:978-4-87984-407-1 戦後日本で「幻想文学」とか「怪奇小説」といった言葉が一般化するのは、それほど昔の話ではない。「幻想文学」に関しては、昭和四十年代中期──自決直前の三島由紀夫が、若き日の澁澤龍彥を相手に、泉鏡花の復権を熱く連呼した一九六九年一月の対談「鏡花の魅力」や、当時雑誌『波』に連載中だった三島の長篇エッセイ「小説とは何か」における幻想文学称揚に端を発し(平凡社ライブラリー『幻想小説とは何か』参照)、翌一九七〇年の中井英夫と赤江瀑の本格的な幻想作家デビュー(創元推理文庫『天上天下赤江瀑』解説参照)、そして七一年の澁澤龍彥編纂アンソロジー『暗黒のメルヘン』刊行などによって、その核が形づくられたとおぼしい。 これについては、先ごろ急逝された須永朝彦さんによる唯一の通史『日本幻想文学史』(平凡社ライブラリー)の「流派・分野を超えて」に「昭和も四十年代に至ると、漸く〈幻想文学〉という呼称がちらほらと聞こえるようになる」と記されているとおりで、四十年代前半に始まる一連の幻想文学リバイバル・ブームの首魁に、澁澤龍彥と中井英夫を位置づけ、「一九七〇年代半ばに興った日本の幻想文学は、この二人を繞って展開してゆく」という指摘にも頷かざるを得ない。 一方の「怪奇小説」については、創元推理文庫版〈怪奇小説傑作集〉全五巻がジャンル形成に果たした役割がことのほか大きく、とりわけ第一巻から第三巻の「英米篇」の編訳・解説者を務めた平井呈一の功績は多大であった。平井は、以後の英米幻想文学シーン紹介を先導した紀田順一郎と荒俣宏両氏の直接の師匠でもあり、私なども、雑誌『幻想文学』における幾度かの紀田氏へのインタビューなどを通じて、平井の人間的魅力の大きさを強く印象づけられたものだ。 このほど松籟社から刊行された『平井呈一 生涯とその作品』は、平井の学統を継ぐ当代の両大家──紀田順一郎氏が監修を、荒俣宏氏が編纂役を務めて成った大著である。 その生涯を跡づける巻頭グラビアの珍しい資料写真の数々が、まず目を驚かせるが、全体の半ば近くに及ぶ「平井程一年譜」(平井「程」一は、氏の本名)における荒俣氏の、執念ともいうべき博捜ぶりに、さらに驚嘆の念を深くし、後半に設えられた「未発表作品・随筆・資料他」のコーナー──とりわけ戦後風俗を大胆に取り入れた「鍵」「顔のない男」「奇妙な墜死」という未発表(!)の本格怪奇小説三篇のつるべ打ちには、ほとほと快哉を叫んだ。平井には『真夜中の檻』と題する先駆的な中篇怪奇小説集が、すでに公刊されているが(創元推理文庫より復刊あり)、拾遺篇たる本書を読むに、しみじみ「早すぎた本格怪奇作家」でもあったことを痛感させられる。その最晩年、牧神社という良きパートナーを得たことで、好きな英米怪奇小説の翻訳を存分に手がける時間的余裕が生まれた平井(七六年没)に、せめてもうあと十年、矍鑠と筆をふるえる残り時間があったらと惜しまれてならない(十年あれば『幻想文学』でインタビューもできただろうに……嗚呼)。 若き日、私淑する永井荷風の得がたい理解者・随伴者として重用されながら、不幸な筆禍事件によって荷風のもとを追われ、それでも挫けることなく、小泉八雲のエキスパートとして個人全訳の偉業を成し遂げ、英国ゴシック文学の先覚者ともなった平井呈一。「荷風に破門されて以後の事実は、これまでほとんど知られていなかったことばかりで、平井先生が混乱期に教師生活を通じ、狭い文士的性格から脱出していく姿は、私には荷風とはすこぶる対照的で、文学者としての価値が逆転していくようにも思われ、戦後の先生が新しい文学を模索し続ける姿とともに、深く心うたれるものがあった」という紀田氏の序文に見える言葉に、本書の真価を窺うことができよう。(ひがし・まさお=アンソロジスト・文芸評論家)★あらまた・ひろし= 作家・翻訳家・博物学者・京都国際マンガミュージアム館長。著書に『世界大博物図鑑』『サイエンス異人伝』『江戸の幽明』など。『怪奇文学大山脈』Ⅰ~Ⅲを編纂。★きだ・じゅんいちろう=評論家・作家。著書に『紀田順一郎著作集』(全八巻)『日記の虚実』『古本屋探偵の事件簿』『蔵書一代』など。荒俣宏と雑誌「幻想と怪奇」を創刊、のち叢書「世界幻想文学大系」を共同編纂。