――性暴力を受けた当事者としての体験を語る――野中章弘 / ジャーナリスト・早稲田大学教員週刊読書人2020年4月17日号(3336号)マスコミ・セクハラ白書著 者:WiMN出版社:文藝春秋ISBN13:978-4-16-391152-6「もう、黙ってはいられない」。メディアで働く女性たちが、沈黙を破り、自ら性暴力を受けた当事者としての体験を語り始めた。組織の大小を問わず、新聞、テレビ、雑誌など、程度の差はあれ、メディア内部で起きている性暴力は常態化しており、女性記者たちの七割以上がセクハラ被害を受けているという。 性暴力は人権侵害であり、加害者(多くの場合は男性)は犯罪者として裁かれる。これは国際社会の常識だが、この国ではそうではないらしい。 メディアの現場では数十年もの間、被害者の声はかき消され、加害者が罰せられることは稀であった。本書はそのような不条理で耐え難い実態を内部から告発している。書き手は全員、メディアで働いてきた三〇数名の女性たち。これまで性暴力の被害者として深い傷を抱えながらも、声を出せずにいた人たちの中には、今回初めて自分の体験を語った女性も少なくない。 告発された加害者は、会社の上司、同僚だけでなく、警察官、検察官、公務員(役人)、政治家、そして取材先の男性たちである。つまり、職場の内でも外でも、記者としての仕事に関わるすべての場面で、彼女たちは日常的な性暴力の危険にさらされてきた。 「魂の殺人」と言われるレイプはむろんのこと、性的ハラスメントは被害を受けた当事者たちに残酷なトラウマを残す。評者自身、頭では理解していたつもりでも、彼女たちの心の傷やその痛みに、いかに鈍感であったことか。 性暴力については、ここ数年、メディア内部からの告発が続いている。TBS記者による性暴力を訴えた伊藤詩織さん、財務事務次官によるセクハラを糺したテレビ朝日記者、月刊誌『DAYS JAPAN』編集長・広河隆一氏の数々の性暴力を告発した編集者や若いフリーランスのジャーナリストたち――。 加害者として糾弾された男たちはいずれも自分たちの行為について「反省」しているフシはなく、むろん、「犯罪である」という自覚もない。 本書では、広河氏の事件に触れているが、『DAYS JAPAN』誌上で度々「女性への性暴力」を取り上げ、「人間の尊厳を守れ」と唱えてきた広河氏は、「私はまさか自分がセクハラで訴えられるとは想像もできなかった」と嘆き、性暴行の加害者であるという認識はなかった。しかし、昨年十二月に発表された外部の弁護士らによる検証報告書は、広河氏の行為を明白な人権侵害と断定、長期にわたり繰り返し行われた性暴力を厳しく批判している。評者も複数の被害女性たちから直接、具体的な証言を得ており、「(性的関係を結ぶ)合意があった(と思い込んでいた)」という広河氏の釈明は自分勝手な詭弁に過ぎない。 残念ながら、メディアの世界には、大小の権力をふるう無数の「広河氏」が跋扈している。外からみると「リベラル」に見える報道機関も、内実は昔ながらの偏ったジェンダー観(女性蔑視)に凝り固まった者たちのムラ社会で、自らの誤った行為を検証、自浄する能力はきわめて乏しい。 性暴力の根っこには女性をたんなる性の対象や労働力として扱う、私たちの社会の病理がある。本書の中で被害女性の一人は性暴力のトラウマに苦しみながらも、「治療されるべきはこの社会だ」と鋭く指摘している。 私たちは腐臭を放つ男性優位の価値観がこの社会を蝕んでいることに気付くべきである。本書で勇気を持って発言した女性記者たちの訴えを自分自身の意識の変革につなげていきたいと切に思う。(のなか・あきひろ=ジャーナリスト・早稲田大学教員)★ウィメン=メディアで働く女性ネットワーク。テレビ局の女性記者に対する財務省幹部のセクシュアルハラスメント事件をきっかけに、メディアで働く女性たちの職能集団として二〇一八年春に発足。