――人生のたしかな痛みとよろこびの瞬間を描く――三宅香帆 / 書評家・文筆家週刊読書人2021年2月5日号銀の夜著 者:角田光代出版社:光文社ISBN13:978-4-334-91374-8 年齢を重ねるごとに、自分で自分を認めることはなんと難しいのだろう、と重苦しい気分になることがある。子どものころは、みんなある程度横並びで、学校に行ってさえいれば「まあこんなもんかな」と思える人生を送れた気がする。だけど大人になってからは。ちゃんと働いていても、結婚しても、子どもを産んでも、きちんと生きていても、どこかで自分のことを認められない、自分が自分にいい感情を持てない。なにかもっとほかに自分のやるべきことやりたいことはあるのではないのか、と他人と比較したり、あったかもしれない自分の選択肢と比較したりして、私たちはどこか自分を認められずにいる。『銀の夜』という小説は、かつての同級生であり、バンドの仲間だった三人の女性――現在三十五歳になり、結婚したり、仕事に奮闘したりする女性たちを描いている。ただ、この小説のすごいところは、三人とも、どこか世間からカテゴライズされがちな「よくいる女性像」ではないところだ。主人公たちは、本当に少しずつ世間の求める像からずれた、ただ生きている三人の女性なのである。 彼女たちは自分の人生を、お互い、あるいは過去の自分、あるいは周囲の人間と比較して、「これでいいのだろうか」と悩む。世間的に見れば、不仲の夫婦、不倫、度が過ぎた教育ママ、将来像を結べない仕事など、「正解」とは言われないであろう人生を過ごしている。ただ、彼女たちはそれが世間から認められないから悩んでいるわけではない。ひたすらに、自分の人生のありかたを自分で承認することができていないからこそ、もがき、悩むのである。 たとえば三人のうち一人の女性・ちづるは、二十代のころに「お金に困らない生活がしたい」と考え、安定した道として、夫と結婚することを選んだ。しかし本編で、それが本当にほしい生活ではなかったのじゃないか、とコーヒーを飲みながら思う場面がある。はたして彼女はどんな場所でコーヒーを飲んでいるのか。私はこの場面にちょっと感動してしまったので、ぜひ本編で読んでほしいのだけど。たしかに世間があまりにも「お金がないのは不安だ、不安定な生活を送るべきではない」と言いすぎるものだから、自分の願望を横においてでも、お金を安定的に得られる生活がよい、と私たちはつい思いすぎてしまう。でも、実はそこにはからくりがあり、不安と自由は表裏一体だったりする。つまり、ちづるは、お金のかわりに、自由――つまり自分の人生を、生活を、誰かにではなく、そのまんま自分で抱きしめられること――を手に入れる。もちろんお金は大切なのだけど、そのもっと手前で、ちづるは自分の手に自分の人生を取り戻す必要があったのだ。そしてその事実に、三十五歳にしてやっと気づけたのだ。なんてすごいことなんだろう、と私はちょっとびっくりしてしまうエピソードだった。 ちづるだけではない。この小説に出てくる女性はみんな、他人から見える像とは異なり、自分の人生をどうにか認められないものか、なにかできないのかと、もがく。 自分の欲望を自覚することは難しい。そしてその欲望を真正面からかなえてあげることはもっと難しい。だからこそ、理想と現実の狭間で私たちは悩む。それは十代だろうと、三十代だろうと、いくつになっても変わらない。私たちはいつも、自分が納得できるように、他人に自分の人生を握られすぎないように、奮闘している。そんな人生の重たい、だけどたしかな痛みとよろこびをもった瞬間を『銀の夜』はきちんと描く。もしかしたら続編も、という著者の言葉もあとがきに綴られている。読者としては、絶対読みたい、と思わずにはいられない。(みやけ・かほ=書評家・文筆家)★かくた・みつよ=作家。著書に『空中庭園』『愛がなんだ』『対岸の彼女』『私のなかの彼女』『紙の月』『八日目の蝉』『坂の途中の家』など。一九六七年生。