書評キャンパス―大学生がススメる本―倉本大輝 / 名古屋学院大学現代社会学部2年週刊読書人2021年7月30日号わかりあえないことから著 者:平田オリザ出版社:講談社ISBN13:978-4-06-288177-7 私がこの本に興味を持った理由は、就職活動を意識したことだった。会社が必要としているのはどんな人材なのか調べてみると、8割以上の企業からコミュニケーション能力が求められているとわかった。しかし、コミュニケーション能力といっても、話し上手と聞き上手のように相反する2つを同時に求められているように感じられる。そんなことを思いながら、書店をうろついていると、「コミュニケーション能力とは」と副題についた、まさに今求めていた本に出合ったのだった。 本書では、近年、過剰なほどに求められているコミュニケーション能力について、劇作家という言葉に対して独特の観点を持つ著者が、様々な角度から考えている。新卒採用時に人事担当者が最も重視した能力はコミュニケーション能力が9年連続でトップになっている(書籍刊行時)。しかしここまで求められているにも関わらず、肝心のコミュニケーション能力が何を指しているのかは明らかになっていない。この本では、ただ漠然と求められているコミュニケーション能力について、むしろ伝わらない、わかりあえないことから考えていく。 著者はコミュニケーションの問題を三つあげている。一つ目は「表現意欲の低下」だ。少子化の現在は、「ケーキ」といえば母親がケーキを出してくれるし、学校でもそれぞれよく知るものどうしの会話がほとんどを占める。そうすると単語でしか話さないようになってしまう。すべてを言わなくても、わかりあえる文化の中に私たちは生きている。 二つ目は、「コミュニケーション問題の顕在化」だ。日本は産業構造の変化により、工業からサービス業が中心になっている。かつては「無口な職人」はプラスのイメージだったが、7割の人々が第三次産業に就いている現状では、これまで問題視されていなかった、少し話すのが苦手という人たちも顕在化してきている。 三つ目は、「コミュニケーション能力の多様化」だ。日本人のライフスタイルの多様化や核家族世帯の増加などによって、家族と先生以外の年上の人と接する機会が減り、年上とのコミュニケーションに慣れていない人々もいる。 しかし、これらは人格やアイデンティティの問題ではない。もう少しはっきりものを言えるようになる教育を施すだけでいいのだ、と著者は言う。本書では、著者が演劇を用いた国語教育に携わった経験から、コミュニケーションの様々な側面を考えていく。中でも印象的だったのは、「列車や飛行機で他人と乗り合わせたときに、自分から声をかけますか? あるいは、かけませんか?」という問いに対する各国の違いだ。日本では一割程度の人が、アメリカやオーストラリアでは五割以上の人が自分から声をかけるという。これはアメリカの人たちのコミュニケーション能力が高くて、日本人は低いということではない。アメリカやオーストラリアは多民族国家であり、自分が危険な存在ではないことを早い段階で知らせる必要がある。一方で、シマ国・ムラ社会の日本ではそのような心配をすることは野暮とすら考えている。コミュニケーションはこうした違いの本質を理解し、わかりあえないところから、なんとなくでも相手のことを知るところへ辿り着くために必要なのだ。 本書では、コミュニケーションの必要性はわかりあえないことが前提にあるから生じると述べている。グローバル社会と少子高齢化によって、日本は日本人だけでは成り立たなくなってきてもいる。違いを共有するためにコミュニケーションが存在する。「伝わらない」という経験からしか伝えたい気持ちは育まれない、という著者の言葉が心に残った。★くらもと・たいき=名古屋学院大学現代社会学部2年。最近は紙で書いていた読書ノートをパソコンで代替することに可能性を感じています。