――主著と草稿、人生と哲学の展開を重ね合わせ記述――野村恭史 / 北海道大学大学院文学研究院助教・現代分析哲学・言語哲学週刊読書人2021年4月9日号はじめてのウィトゲンシュタイン著 者:古田徹也出版社:NHK出版ISBN13:978-4-14-091266-9 二〇二一年は、孤高の哲学者ルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの第一の主著『論理哲学論考』(以下『論考』と略す)が出版されてちょうど一〇〇年にあたる。その節目の時期に、かれの哲学へのあらたな入門書が刊行されたことを、まずはよろこびたい。 その人生そのものが哲学の問題との格闘であったとすらいえそうなウィトゲンシュタイン。本書は、二万ページに及ぶ草稿を書き残したかれの哲学の全体へのコンパクトな入門という容易ではない使命を負っている。著者は、けっして理解しやすいわけではないウィトゲンシュタインの哲学の展開を、二度の世界大戦をまたぐ(おそらくはきわめて興味深い)かれの人生の展開と重ね合わせながら、ていねいに述べるという方針を採った。これはまぎれもなく奏功しており、本書はそのタイトルからわかる通り(また著者が「あとがき」でそう望んでいる通り)「はじめてウィトゲンシュタインに触れる方々にとっての良きガイド」となった。 ウィトゲンシュタインが扱った多岐にわたる主題のなかで、何を語り何を語らないかという題材の取捨選択が、たいへん重要となる。『論考』は、その最終命題「語りえないことについては、人は沈黙せねばならない」でつとに有名であろう。著者はこの書物を、(通常そうされるように)そこで「語りうる」とされる事柄を語ることによってではなく、むしろ「語りえない」とされる事柄を列挙し、それがなぜ「語りえない」のかを語ることで紹介している(第一章「沈黙への軌跡」)。いわば『論考』をその裏口から紹介しているのだ。この選択が的を射ているといえるのは、『論考』をはじめて手に取るであろう読者たちの多くが、「語りえない」事柄にこそ強く深い関心を抱いているのではないかと思われるからである。「語りえない」事柄、それは「論理」であり(第三節)、「存在」であり(第四節)、「独我論、実在論」であり(第五節)、「決定論、自由意志論」であり(第六節)、「価値、幸福、死など」である(第七節)。哲学とはなんの関係もない仕事をし、とはいえ哲学にひとかたならぬ関心を抱いている知り合いの一人が、キルケゴールの次に何を読もうか迷っていると聞いた。かれには、本書をすすめよう。『論考』の裏口から入る本書は、こうした人にはとりわけ好適な手引きとなるだろう。 第二章「世界を見渡す方法」では、ウィトゲンシュタインの(第二の主著『哲学探究』によって代表される)後期の哲学が概説される。まずは、「像」という概念がウィトゲンシュタインの哲学のなかで果たす役割が大きく変化したという事実のなかに、かれの哲学の前期から後期への転回の一端が見て取られる(第三~五節)。 次にいわゆる「規則のパラドックス」が扱われる(第六節)。これについて著者は、記号の意味を定めるのは「生活の流れ」であり、「記号が我々の生活の中で使用され、特定の役割を果たすその具体的な状況こそが、その記号をまさに意味ある言葉にするのである」という至極まっとうな回答を与えている。 この章の白眉は、おそらく「形態学」についての第七節である。「形態学」とは、文豪ゲーテに由来する自然科学の方法論であり、「植物や動物などの多様な形態を比較して、その形成の秘密を解き明かそうとする学問」である。ウィトゲンシュタインは、さまざまな形態の比較を通じて「諸事象の間に類似性を見て取り、それら全体に対する新たな見方を獲得する」というこの方法論を高く評価しながらも、ゲーテが、「あらゆる植物の形成を、原型(原器官、原植物)のメタモルフォーゼという図式で捉え」ることで、結局のところ「生物の限りない多様性のなかに、共通の本質と呼ぶべきものを見出そうとする姿勢」から抜け出ることはなかったという点を憂慮している。 ゲーテの「形態学」的な手法でウィトゲンシュタインが目指したのは、「展望のきいた描写」であり、固定化された見方に縛られないために、絶えず「新たな「比較の対象」を置いて」「見方を切り替え続ける」ことであり、著者はここに、ウィトゲンシュタインの後期哲学の「すぐれて臨床的」な側面を見て取っている。 最終第三章では、ウィトゲンシュタインの生涯最後の十年が扱われる。主題とされるのは、「心」(第二節)、「知識」(第三節)、「アスペクトの閃き」(第四節)であり、いずれも重要かつ興味深い。この最終章の表題は、「鼓舞する哲学」。著者がウィトゲンシュタインの(とりわけ後期の)哲学をこう呼ぶのは、それが「形式的にも内容的にも未完成であり、今後の探究へと開かれたもの」だという理由による。ウィトゲンシュタインの哲学は、われわれをわれわれの探究へと「鼓舞」するのだ。 のみならず、順風満帆であったことはなく、失敗してはやり直すことのくりかえしであったウィトゲンシュタインの人生、それを自分で振り返りつつかれが語ったことばが、最終章最終節で引用されている。「人は躓いては倒れ、躓いては倒れる。そこから為すべきことはただひとつ。立ち上がり、再び続けようと試みることだ。それが、少なくとも私が生涯を通じてやらなければならなかったことだよ」。天才ウィトゲンシュタインの人生も、われわれのそれと同じく(あるいはそれ以上に)、失敗と後悔に満ちていた。躓き倒れるたびに立ち上がったウィトゲンシュタインのその姿にこそ「鼓舞する哲学」を見て取っている著者に心から同意する。(のむら・やすし=北海道大学大学院文学研究院助教・現代分析哲学・言語哲学)★ふるた・てつや=東京大学大学院人文社会系研究科准教授・現代哲学・倫理学。著書に『不道徳的倫理学講義』『言葉の魂の哲学』(サントリー学芸賞)など、訳書にウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』など。一九七九年生。