――歌う人間の精神、その伝説的な記録――白石純太郎 / 文芸評論家週刊読書人2020年10月2日号モリッシー自伝著 者:モリッシー出版社:イースト・プレスISBN13:978-4-7816-1897-5「イギリス病」という言葉があった。「ゆりかごから墓場まで」で知られる社会福祉政策が国を圧迫していた七〇年代後半のイギリスを指した言葉だ。その不況を打破するべく登場したのが、マーガレット・サッチャー首相。新自由主義に基づく福祉支出の削減と民営化を大胆に行い、国際競争力を高め「イギリス病」を治療しようとした。結果はどうなったか。「持てる者」と「持たざる者」の格差が生まれ、失業率は第二次世界大戦以降、最高のものとなり病はより深刻な局面を迎えた。 ザ・スミスというバンドがあった。〈イギリスは僕のもの/僕を養う義務がある〉、〈仕事を探していた/そして見つかった/けれど天は知っている/今の僕は惨めだと〉。このようなサッチャリズムのもと不況にあえぐ若者の声を代弁した歌詞により、イギリスのロックシーンを五年という短い活動期間で新しいものとした。マンチェスターで生まれたバンドは、今でも伝説として語り継がれている。作詞者兼ボーカリストはモリッシーという男。ズボンにグラジオラスの花を刺し、オスカー・ワイルドを愛読する文学青年然とした姿は、ロックシンガーのマッチョなイメージを塗り替えた。スミス解散後はソロシンガーとして現在までカルト的な人気を誇り、全世界で熱狂的なファンを生み出している。この本は、二〇一三年に出版された彼の自伝である。 生きた伝説である人間の自伝はやはり伝説的だ。まずイギリスの老舗出版社「ペンギン・ブックス」の「ペンギン・クラシックス」シリーズの一冊として売り出されたという点。日本で言えば岩波文庫から出版されたようなものである。この自伝はすでに文学的な「古典」であるというわけだ。そして一切章立てのなされていない四五〇ページ弱という分量。厚さにして四センチメートルほどある。それだけではない。知り合いのイギリス人をして「英語ネイティヴでもわからない」と言わしめたその晦渋な文体。翻訳不可能とまで言われたこの自伝が翻訳されたこと自体が事件である。 英国文学の伝統として、例えば『トリストラム・シャンディ』をはじめとするブラック・ユーモア文学というものがある。彼が敬愛するオスカー・ワイルドなどもその系譜に属する。『モリッシー自伝』も、その伝統に倣った英国文学のシニカルさがある。「カフカ的な悪夢」、「ディケンズが見ても、言葉を失うような輩」、「歯医者で第三帝国の野犬捕獲員に痛めつけられたようだった子どもの頃の記憶」という表現が持つ絶妙なおかしさは黒い笑いを読者にもたらす。自伝は終始このような調子で、灰色をしたマンチェスターでの学生時代、スミス結成、ソロでの活動、スミスのロイヤリティをめぐる裁判、そして大成功を収めたソロアーティストとしての復活劇を年代順に綴っていく。文体は古風なまでに文学的で詩篇とでも呼べそうなものであり、途切れないイメージの連鎖や比類のないような喩えは読者の想像力を刺激する。 興味深いのは、スミスの成功が全く淡白なものとして描かれる一方で、一九九一年、大成功に終わった初ソロツアーや二〇〇四年のソロアーティストとしてのリバイバルを熱のこもった筆致で描いている点だ。「私は笑った。怖くなったし、信じられなかった。涙が出てきた。畏れ多かった。美しかった」。「イエスよ、私は愛されている。誰ひとりからの愛も見つけられなかったかわりに、何千人からもの愛を見つけた」。 モリッシーのパブリックイメージは、陰鬱で引っ込み思案なか弱いものであるが、この自伝からはモリッシーが「モリッシーでいること」の自信やたくましさが感じられる。マンチェスターから遠く離れて、ひとりの人間が歌うことでどのように自己を解放し、自分自身のいるべき場所をどうやって見つけていったか。つまり『モリッシー自伝』とは、全編を通して「歌うこと」にこだわり続け、それに成功した人間の精神の記録であり、現代の古典とも呼ぶべき一編の物語なのだ。(上村彰子訳)(しらいし・じゅんたろう=文芸評論家)★スティーヴン・パトリック・モリッシー=イギリス・マンチェスター出身の歌手。「ザ・スミス」のボーカルとしてデビュー。一九八七年に解散後、ソロで精力的に音楽活動を続ける。ベジタリアン、社会問題の論客としても知られる。一九五九年生。