――共和政下のフランスにおけるユダヤ人排除の構造――寺田寅彦 / 東京大学教授・比較文化週刊読書人2021年2月5日号共和国と豚著 者:ピエール・ビルンボーム出版社:吉田書店ISBN13:978-4-905497-89-9 二〇二〇年秋、フランスの書店に並んだ新刊書の中にアカデミー・フランセーズ会員エリック・オルセナの『豚』があった。「豚の歴史は私たちの歴史だ」という一文から始まるこの本はグローバリゼーションの世界を環境論を交えながら語るエッセイ集で、オルセナの言を借りれば「すべての動物の中でもっとも私たちに近しい」豚をテーマに、文化、社会、政治経済が軽妙なタッチで論じられている。でっぷりと肥え太ったイメージゆえか豚が登場するだけで地球温暖化問題の深刻さが和らぎ、議論を運ぶ筆も闊達陽気である。 一方で同じ豚を書名に掲げていても、政治社会学者ピエール・ビルンボーム著『共和国と豚』は、豚食を中心テーマに共和政下のフランスにおけるユダヤ人排除の構造を真っ向から論じた重厚な書である。近年では日本でもムスリムの食習慣に対する関心が高まり、イスラム法において合法であるハラールの認識が広まりつつあるが、逆に豚のようなハラーム(不法)な動物を食べないことはあまり知られていないかもしれない。ビルンボームはムスリムではなくユダヤ共同体を本書で論じているが、ヘブライ語聖書の記述に従って豚を食べないのはユダヤ教の戒律でも同じである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する民はすべてアブラハム(多くの国民の父)の子であるにもかかわらず、歴史的にカトリックが勢力を持っていたフランスではハムを食べられるかそうでないかで社会的除外の構図ができあがってしまうのである。 本書は十八世紀啓蒙主義を代表するヴォルテールのユダヤ教戒律批判に始まり、十九世紀・二〇世紀を通じてフランスやその周辺の国々でこの豚食の禁忌ゆえに市民として受け入れられることなく孤立していったユダヤ教徒の姿を詳らかにする。市民が兄弟愛(フラテルニテ)から結びつくには「同じ釜の飯を食う」という象徴的な行為が求められ、ハムやソーセージを含む豚肉が提供される食卓で同じ食べ物を分かち合うことができないユダヤ教の信者は除け者になるのである。この村八分の構図は教会と国家の分離の原則であるライシテが確立される第三共和政期においてより明確になるが、当時活躍したユダヤ人考古学者であるサロモン・レーナックがこの禁忌を廃して共和国に溶け込むことを目指した様が本書では細やかに描かれ、ドレフュス事件の時代のフランスにおけるユダヤ共同体の複雑な状況を読者は知ることになる。 食という身近な行為がライシテを謳う共和国においてこそ排除の要因になっているという問題意識とその歴史を明らかにするふんだんな資料が本書のなによりの魅力だが、その資料に登場するさまざまな饗宴の豚肉料理満載メニューも読者には「ごちそう」で読むだけで食指が動く。ただ、山盛りが過ぎてかえって食傷気味になりかねないところを飽きずに読み進められるのは訳者の筆力のおかげである。訳者は長文難解で知られるプルーストの専門家で訳文の読みやすさもさることながら、ユダヤ人を母親に持つ『失われた時を求めて』の作者を視野に入れた本書の訳者解題は逸品である。さて、それにしても、カトリックの教えの中で育ち現在は不可知論者を標榜するオルセナが自書で豚関連書を数多く引用しつつもビルンボームの本に一言も触れないのは偶然だろうか。古くかつ新しい問題を本書が投げかけていることを実感せざるを得ない。(村上祐二訳)(てらだ・とらひこ=東京大学教授・比較文化)★ピエール・ビルンボーム=パリ第一大学名誉教授・政治社会学・フランス近代史。著書に『現代フランスの権力エリート』など。一九四〇年生。