長岡真吾 / 福岡女子大学教授・アメリカ文学週刊読書人2017年3月31日号 世界と僕のあいだに著 者:タナハシ・コーツ出版社:慶應義塾大学出版会ISBN13:978-4-7664-2391-4チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカーナ』(くぼたのぞみ訳、二〇一六)の主人公イフェメルはナイジェリアからアメリカに来て初めて自分が「黒人」だと知る。彼女はアメリカで「人種」を「発見」したことに驚き、アメリカで黒人であることについてブログを書き始める。人気ブロガーとなった彼女は読者に呼びかける。「「黒人であるためとしかいいようのない人生経験」について口を閉ざしている」黒人たちに「さあ、ここに話を書き込んで。封印を解いて。ここは安全な場所だから」と(三四一)。 『世界と僕のあいだに』は、まさにそのように口を閉ざしているアメリカ黒人の、まさに「黒人であるためとしかいいようのない」体験と苦痛と危険について(そして本当の意味での「安全な場所」など存在しないことについて)語ったノンフィクションの文章である。タナハシの当時一四歳の息子サモリに宛てて語る形式を取っているが、その二人称が与えるのは一般読者への親しみを込めた率直さ、真剣さ、そして証言者としての切実さでもある。全体は三章に分かれ、第一章は子どもの頃から大学を卒業するまでを時間軸としながら、アメリカで黒人として生まれたことがどのような体験に繋がっていったのかが、実例のひとつひとつの積み重ねとして語られる。どのページにも消えない雑音のように恐怖が刻まれている。自分を愛してくれる親が、しかし一度ささいな間違いをしでかすとベルトでひどく鞭打つ。「おれがあいつをたたいといてやらなきゃ、警察がたたくことになるんだぞ」と何度も繰り返しながら。 「ストリート」では怒りをたたえた黒人少年から不意に本物の銃を突きつけられて、自分の肉体のもろさを思い知らされる。学校では自分ではないものになることがよいことだとすり込まれる。語り手は「君が黒人なら、君が生まれたのは刑務所の中だ」というマルコムXの言葉を思い出し、「避けなければならなかったブロック[街区]や、歩いて下校する途中で見つかってはいけない時間帯や、自分の肉体を支配していない」状況に絶えず注意する。タナハシが息子(そして読者)にまず理解を求めるのは、アメリカで「黒人」に生まれるということは、何よりも毎日自分の「肉体」の安全を懸命に確保しなければならないということだ。その生身の肉体が一日無事なままでいられるように最大限の注意を払わなければならない。その「肉体」は米国の「社会」や「法」が守ってくれるようなものではないのだから。「お前は黒人の少年で、黒人でない少年には知りようもないやり方で自分の肉体に責任をもたなければならない」。それは「ほかの黒人の肉体が起こす最悪の行動にも責任をもたされるはめになる」ばかりか「権力を持つ人間たちの肉体にも責任を持たされるはめになる」からだ。なぜならほかの黒人がしたことでも必ず「お前」のせいにされ、「警棒でお前を叩きのめす警官」も必ず「お前」の挙動ひとつひとつを「言い訳」にするのだから。 第二章では、そのような「肉体」が奪われた実例が語られる。米国での黒人研究・教育の中心であるハワード大学へとタナハシは進学したが、そこでプリンス・ジョーンズという名の、品が良く親切で「温かいもの」を感じさせてくれる穏やかな黒人学生と知り合う。大学を離れた後の二〇〇〇年一月、新聞を開くとプリンス・ジョーンズが警官に射殺された記事が載っている。この事件についてタナハシは、氷のような怒りを湛えながらすさまじいまでの筆力で息子に語りかける。複雑で行き場のない感情を、世界の現実の細部をひとつひとつ示してみせることで、そして、その細部と生身の自分とのあいだに横たわる制御できないまでに危険な距離を描いてみせることで、感情的にはならずに伝えている。警官が明らかな間違いを犯しながらも罪に問われなかったというテン末も詳細に述べているが、それだけではなく、著名な医師を親に持つプリンスやその家族にとって、いかにその社会的地位が黒人の場合には自分の肉体を守る盾にはならなかったかについても、絶望することなく直視している。 しかし本書が「白人」とその社会を告発することを主要な目的としてはいないことは、三章でよりはっきりとする。プリンス・ジョーンズを殺害した警官も黒人であったし、その警官に権限を与えた政治家たちも黒人であった。タナハシが謎解きのように繰り返す言葉のひとつに「ドリーム」がある。それは一方では白人たちが掲げてきた「アメリカの夢」に繋がる部分もあるが、別の意味も込められている。その「ドリーム」に囚われてしまうと、黒人が「この国にどうしても欠かせない底辺(ビロウ)なんだ」という集合的意識を黒人自身が強化してしまうという。「自由に生きるよりも白人として生きることを望」む「ドリーマー」たち。肌の色を問わずアメリカ人の意識を固定して「黒人」という民族を創り出してしまう「ドリーム」についての洞察には繰り返し多くを考えさせられる。 本書にはもっと多様で奔放な物語も満載である。何度か恋をし、いろいろな個性を持った人々と出会い、日常のここかしこに潜む恐怖に怯え、偽物の「ドリーム」に踊らされないよう用心して、心をくじく現実との折り合いをつけながら、目の前のことひとつひとつに耐えていく。その姿は「黒人」ではない。「白人」でもない。本書が全米図書賞を受賞し、長期のベストセラーになったのは、そうしたことが共有されたからではないか。少なくとも、誰であれ、本を読む人々のあいだでは。(池田年穂訳)(ながおか・しんご氏=福岡女子大学教授・アメリカ文学)★タナハシ・コーツ(一九七五~ )=作家。元ブラック・パンサー党員のポール・コーツを父としてボルチモアに生まれる。著書に“The Case for Reparations” “The Beautiful Struggle”など。