アルジェリアをめぐる記憶の承認 小山田紀子 / 新潟国際情報大学教授・マグレブ近現代史 週刊読書人2022年4月25日号 旧植民地を記憶する フランス政府による〈アルジェリアの記憶〉の承認をめぐる政治 著 者:大嶋えり子 出版社:吉田書店 ISBN13:978-4-910590-01-1 フランス植民地帝国の終焉を告げたアルジェリア戦争とフランスからのアルジェリアの独立(一九六二年)は、入植者の大量脱出を引き起こしたが、アルジェリアを脱出した人々は「引揚者」と総称された。それはアルジェリアのヨーロッパ系植民者、アルジェリアのユダヤ人、ムスリム・フランス人(ハルキ=フランス軍の協力者となった原住民)の大きく三つに分類される。これら引揚者を受け入れたフランスはこの時、多民族国家への本格的な一歩を踏み出したといえよう。そしてフランスでは二〇世紀末ごろからアルジェリア植民地支配と独立戦争の歴史をめぐり熱い議論が繰り広げられている。バンジャマン・ストラが「記憶の戦争」と名づけた状況が出来しているのである。しかし、独立後三〇年以上アルジェリア問題は忘却のかなたに追いやられた感があった。フランスでは、一九六四年から出される特赦法により、軍関係者のみならず、アルジェリア独立に反対した極右のテロ組織OAS (秘密武装組織)のすべてのメンバーまでもが大統領恩赦によって解放された。このことは、フランス社会のアルジェリア問題をめぐる「記憶喪失」を加速化させることになった。アルジェリアからの引揚者たちはフランスの地で生きていくために自ら沈黙や忘却のなかに身をおいた。ところが一九八〇年代後半頃から、引揚者自身の手でその記憶と歴史が出版物等を通して語られ始めた。一九九九年に国民議会でアルジェリアでの出来事が初めて「戦争」と認められる。詳細については本書に譲るが、フランスでは何百万人という人々が、多くの犠牲者を出したアルジェリア戦争に結びついていると感じていて、彼らが抱くさまざまな記憶がぶつかりあうのである。フランスはナショナル・アイデンティティの危機に直面している。 本書は、以上のようなさまざまな人々の記憶を、一九九〇年代以降フランス政府や公的機関がいかに承認したかを三つの事例――記憶関連法、国立移民歴史館の設立、アルジェリア在住フランス人資料センターの開設――を通して検証している。「記憶の承認」という概念を使うことによって、本書の分析はフランスの国家や社会がアルジェリア戦争をどう捉えるかの問題に行き着くだろう。 まず第一に記憶関連法については、アルジェリア戦争法と帰還者法が取り上げられるが、ここでは後者を見てみよう。アルジェリア独立後、引揚者たちはアルジェリアで略奪された彼らの財産・権利の補償を要求する戦いを繰り広げる。それは、「北アフリカ・海外フランス国民協会」のようないくつかの引揚者の協会によって主導された。ドゴール政権後の一九七〇年七月から一九八七年までに相次いで補償の法律が成立した。その後は〝起源の回帰〟を掲げて、文化的特徴を持つ引揚者の友の会が一九八〇年代から九〇年代にかけて次々に出現し、引揚者はそこに身を投じ組織された〝コミュニティー〟の構成員としてその熱狂ぶりを示した。ルペン党首の率いる国民戦線の支持は、こうした引揚者の諸団体の存在が背景にあり、それによって 二〇〇五年二月「フランス人引揚者のための国民の感謝と国民的支援に関する法」が成立し得たといえよう。 第二に取り上げられた国立移民歴史館は、二〇〇七年にポルトドレ宮(一九三一年には国際植民地博覧会が開催された場)に設立された。その建設の経緯の中で、「植民地支配、移民、ポストコロニアリズム」を研究対象とした検討委員会でこの移民歴史館が不適切な場であるとの意見も出ていた。アルジェリアの記憶についての展示の紹介においては、フランス本土における抑圧や差別を含む過去は承認されているが、植民地で行われた抑圧や差別は描かれていないと断じる。結論として、移民統合と国民的結合を目的とした、フランスが行っている〈アルジェリアの記憶〉の承認には限界があるとするが、この博物館は「歴史とアイデンティティの生産者」としての役割をフランスで初めて認めた場として評価できるとも著者は述べている。移民はフランス国内では人種差別に抗議する運動や、アルジェリアの大統領選挙をめぐる運動の展開等、アルジェリアの政治や社会と切り離すことはできない。移民博物館が国内の移民統合のみを目指すのであれば、移民の実態と乖離する恐れがある。 第三に、「アルジェリア在住フランス人資料センター」とは、ピレネー=オリエンタル県ペルピニャン市が所有する聖クララ修道院に二〇一二年に開設された施設で、アルジェリア植民地支配を肯定する記憶の承認の事例である。なぜこのような施設が同市にでき、政府も承認したのかは、自治体と引揚者団体のアルジェリアニストの会の結びつきが大きく影響していたこと、当時は国民連合運動のサルコジ政権下でありペルピニャン市の市長が同党所属であったことが極めて重要であったと著者は分析する。引揚者はアルジェリアの町や村から集団的にフランスの様々な地方都市に移住していてアルジェリアへの郷愁が断ち難く、アルジェリアの「故郷」の町や村を訪れていたことも知られている。近年では彼らの記憶の承認の場としての施設や記念碑が地中海沿岸に次々と現れているという。この章はピエ・ノワール研究の第一人者で、引揚者の「集合的記憶」における被害者性に着目しているサヴァレズの研究に拠り、戦争後の引揚げと本土における人々の眼差しから来る「苦しみの経験」を持つ引揚者のグループの承認を求める活動を分析している。一方、『マルセイユと脱植民地化の衝撃』を著したJ-J・ジョルディはアカデミックな引揚者に関する多くの研究を発表した後、自身の右翼的思想を明らかにした。(ジョルディが「アルジェリアの先住民」という言葉を使っていることにも彼の考えが垣間見られる。) 最後に、「謝罪」と「和解」について考えたい。二〇二一年一月マクロン大統領に歴史家バンジャマン・ストラが〈アルジェリアの記憶〉に関する報告書を提出した。これが発表されるや様々な議論が巻き起こされ、ストラの視点を歴史修正主義と批判する向きもあり、この報告書が「記憶の戦争」の解明と克服、そしてフランス‐アルジェリア関係を和解の方向に導こうとする国家と歴史家の挑戦は、先行き不透明である。ストラは日本の失敗の例を踏まえて「謝罪」は必要ないとし、「共同体主義的記憶」を「共通の記憶」に移行していかなければならないと述べている。アルジェリア戦争はなぜあれほどの暴力的なものになったのかについては、まず歴史を遡り、フランスの征服戦争と植民地支配体制のあり方に求める必要があるだろう。大きな犠牲を払った独立戦争はフランスとアルジェリアの双方の国家や社会に深刻な影響をもたらしている。 本書のように、引揚者や移民を学術的に検証することは、フランス植民地帝国解体後のフランス社会を解明していく入り口となる貴重な研究である。事実、マクロン政権は植民地支配をめぐる課題についてこれまでの政権よりも踏み込んだ外交政策を展開していると著者は結論づける。いま世界各地で起こっている、旧宗主国と旧植民地の政治的対立や歴史認識の問題は、まさに植民地帝国以後の新たな国民国家の構築の模索が各地で行われている証左である。我々には歴史認識の再考、そして世界史へのグローバルな視点の導入が求められているのではないだろうか。(おやまだ・のりこ=新潟国際情報大学教授・マグレブ近現代史)★おおしま・えりこ=金城学院大学講師・フランス政治・国際関係論。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。博士(政治学)。著書に『ピエ・ノワール列伝』など。一九八四年生。