――残酷極まるクリエイティブエコノミー――井上智洋 / 駒澤大学経済学部准教授・経済学週刊読書人2021年4月2日号格差のない未来は創れるか?著 者:ジョシュア・ガンズ/アンドリュー・リー出版社:ビジネス教育出版社ISBN13:978-4-8283-0862-3 イノベーションに肯定的な人間はそのメリットにしか目がいかないし、イノベーションに否定的な人間はそのデメリットばかりに注目する。世の中だいたいそういうものだが、本書の著者達は異なっている。 彼らはイノベーションに対して結局肯定的な結論を出すのであるが、議論の過程ではその悪影響についても隠すことがない。 それは例えば、アマゾンがピッキング作業の可能なロボットのコンテストを催して、倉庫内の箱詰めという人間に残された仕事すらも奪おうとしていること、ルーティン業務が機械に奪われて労働市場の二極化が進んでいることなどだ。 本書の著者たちはそういう意味で誠実であり、慎重に中立的に議論を進めようとしている。だが、イノベーションに肯定的な人間の部類の中では最もネガティブな評者から言わせると、いくつかの重要な見落としがある。 彼らは、起業が雇用を生む素晴らしい営みであると主張することに何のためらいもない。だが、起業がミクロ的には雇用を生み出してもマクロ的には雇用を減らす場合がある。 例えば、ECサイトを運営する会社を立ち上げれば、人々がそこに雇用されることになる。一方で、この世のどこかでそのために小売店が潰れて店員が路頭に迷うかもしれない。 彼らはまた、「Facebookの利点を過大評価しないように注意しなければならない」としながらも、人々がFacebookに費やす時間からその価値を算出している。 ところが、Facebookを利用すると幸福度が下がるという有名な研究結果がある。それが本当だとすると、費やす時間が長ければ長いほどその害悪は増えることになる。 さらに本書では、近年のイノベーションがルーティン業務を減らす一方で、創造的な仕事を増やしていると述べられていて評者もそう考えている。 消滅する仕事ランキングで有名な論文「雇用の未来」を書いたオズボーン教授は、「クリエイティブエコノミー」がやってくると言っている。一見それは望ましいことのように思えるが、所得分布という面では最悪だ。 芸人やミュージシャンを思い浮かべて欲しい。ほとんどの者は年収五〇万円にも満たないギャランティーしか得られず、飲食店などのバイトで食いつなぐしかない。そして、ほんの一握りの勝者だけが、輝かしい栄光と数億円の年収を享受する。 クリエイティブエコノミーは全く残酷極まる。世の中全体が、芸人やミュージシャンのような所得分布に近づいていくからだ。 著者たちは、教育の機会を平等にし、誰でもチャレンジしやすい環境を提供することを提案する。評者はそうした提案に完全に賛成だが、クリエイティブエコノミーにおけるチャレンジがギャンブル性の高いものとなることを見過ごすわけにはいかない。 彼らは、イノベーションが格差をもたらしてきたのは政策が悪いからだという。仮にこれまではそうだとしても、今後も同じとは限らない。教育の機会を平等にしたくらいでは、イノベイティブでかつ格差のない社会の実現は困難な時代になるだろう。 ただし、本書ではEITC(給付付き勤労所得税額控除)の拡充も提案されている。これは、アメリカで導入されている低所得者向けの社会保障制度だ。 要するに、彼らは機会の平等だけでなく結果の平等をも図ろうとしているのである。ただ、それがおまけ程度の扱いにしかなっておらず、練られていない。ベーシックインカムよりもコストが少なくて済むと述べているが、よく見られる間違いだ。 機会の平等を図ることは当然重要だが、それだけでは止めることができないイノベーションの破壊力から目を背けてはならない。今後のイノベーションは不可避的に格差を生み出すので、所得の再分配によってその格差を縮めるしかないだろう。(神月謙一訳)(いのうえ・ともひろ=駒澤大学経済学部准教授・経済学)★ジョシュア・ガンズ=トロント大学ロットマン経営大学院教授・経営戦略論。★アンドリュー・リー=オーストラリア下院議員・経済学。