――考古学・歴史学を縦軸に、文学・芸能・建築学・工芸を横軸に――崎浜靖 / 沖縄国際大学経済学部教授・人文地理学・歴史地理学週刊読書人2021年12月3日号首里城を解く 文化財継承のための礎を築く著 者:高良倉吉監修/島村幸一(編)出版社:勉誠出版ISBN13:978-4-585-32001-2 本書は、二〇一九年一〇月三一日の首里城焼失後に、各専門家による首里グスク研究の「現在」をまとめたものである。考古学や歴史学を縦軸に、文学・芸能・建築学・工芸を横軸において編集されている。 まず、日本復帰後の「首里城復元プロジェクト」策定後の取り組みが記されている。沖縄戦で灰塵に帰した首里城跡地は、戦後、琉球大学キャンパスとなる。復帰後にキャンパスの移転計画が進む中で、その流れに連動し、首里城復元を求める「県民の声」が高まっていった経緯があった。 復元事業は、資料不足の状況からスタートしたが、尚家文書や『寸法記』などの資料にめぐり合うことで、復元プロジェクトを成功に導くことができた。さらに多様な資料を活用することで、焼失した正殿を主体とする御庭(ウナー)以外の復元・整備が進み、今後の復元事業にも引き継がれている。では、各専門分野の論考を、評者の専門分野に引き寄せてみていこう。 考古学分野からは、近年の発掘調査により、グスク時代初頭にみられた「隔離空間」が、御嶽(ウタキ)などの象徴性のある祭祀的空間へと展開し、最終的に王権を象徴とする首里城正殿へと至る過程が説明されている。さらに出土した陶磁器の量や種類からは、対外貿易の盛衰とそのルートが明らかにされている。これらの論考からは、首里城の「原初的空間」がどのようなものであったのか、想像できる内容となっている。 歴史学分野からは、薩摩藩侵攻後の冊封儀礼について、政治や外交の状況に合わせて儀礼空間の役割が変化し、重層化していった状況が詳細に検討されている。特に薩摩役人の接待場所として捉えていた南殿における儀礼空間では、接待の相手に合わせて座の配置や室内の装飾を変えて対応していた状況があり、まさに政治性を帯びた空間として機能していたことがわかる。それは祭場としての首里城の空間にも特徴的に表れており、中国の冊封体制と徳川幕府体制下の狭間で生きる琉球国の王権の性格が反映されているのは興味深い。 近年、絵図研究が進む歴史学・建築学の領域では、首里城に関する絵図の解釈をもとに、首里城の位置関係、城の向き、正殿と大龍柱、城壁と城門などの特性を読み解くといった、これまでの歴史研究では掬えなかった歴史景観の研究が展開されている。しかし、正殿の大龍柱の向きに関しては、現在、絵図の表現形式の解釈をめぐって、沖縄県内で論争となっているため、他分野の研究者とも連携して、絵図そのものの解釈についての方法論を検討する必要があろう。 本書は、それぞれの執筆者が、歴史的事象を、首里城の空間に意味づける作業を丁寧に試み、読み解いている。それらの論考が縦軸と横軸でバランスよく織り成されるように編集され、首里城研究の「現在」が俯瞰できる内容となっている。親しみやすいコラムが挿入され、首里城を知るための入門書十冊も紹介されるなど、初学者向けの配慮もなされている。 今後は、首里城内にある「旧日本軍の第32軍司令部壕」の復元事業をも含めて、近代史の視点を盛り込んだ、通史的な研究を期待したい。(さきはま・やすし=沖縄国際大学経済学部教授・人文地理学・歴史地理学)★たから・くらよし=琉球大学名誉教授・琉球史。政府の首里城復元に向けた技術検討委員会委員長。著書に『琉球の時代』『琉球王国の構造』など。★しまむら・こういち=立正大学教授・琉球文学・琉球文化史。著書に『『おもろさうし』と琉球文学』『琉球文学の歴史叙述』『おもろさうし研究』など。