――物質・モノから人類学を再構築する可能性――橋爪太作 / 早稲田大学人間科学学術院助手・文化人類学週刊読書人2021年2月5日号人類学的観察のすすめ 物質・モノ・世界著 者:古谷嘉章出版社:古小烏舎ISBN13:978-4-910036-01-4 異なる現実を経験し理解することを任務とする文化人類学は、我々にとって当たり前な認識や思考のあり方が唯一ではなく、世界には自らと同等な「文化」を持った人々が複数存在することを明らかにしてきた。 だが結局のところ、人類学者が収集・考察してきたシュールな文化の目録は、自然科学のみがアクセスできる普遍的自然というリアルの基盤に支えられてきたのではないだろうか? こうした自らの限界への認識が、E・ヴィヴェイロス=デ=カストロやT・インゴルドら新世代の人類学、そして両者を受けた本書の出発点である。 では、自然と文化の区分を乗り越えた「シュールかつリアルな世界」はどうすれば見えてくるのか。この難問に対し、著者はひとまず「人間が存在している客観的な環境」(=普遍的自然)と「人間がそのなかで生きている世界」を区分することで応える。冒頭で引用される生物学者ユクスキュルの「環世界」論によれば、環境中に充満する無数の刺激(光、音、温度、化学物質……)のなかから、マダニは獲物の発する特定のそれのみを意味として知覚する。万物の霊長を誇る人間とて、その生息環境や身体構造、人工物などから構成される環世界の内側にあることに変わりはない。つまり著者の目論見は、従来の人類学が文化と呼んできた領域を、より深いレベルにある物質的な準位との多様な絡み合い(=「人間がそのなかで生きている世界」)の側から理解することにある。 前半では主にこの世界を構成する水、土、空気、石、鉄といったマテリアルと人間の関係が論じられる。雨期のアマゾンで冠水した森林のなかの迂回路を巧みに見つけるインディオたち、元々あった自然岩を過去の人工物の廃墟だと思い、それを真似た巨石遺跡を築いた先史時代人といった魅力的な事例からは、人間とは自らの置かれた自然=物質環境のなかで(時には驚嘆しつつ)その延長線上に生を紡いでいくものであるという思いがわき上がってくる。 他方、旧石器時代末期に制作された「トナカイの角に彫られたマンモス」の像には、素材(トナカイ)と造形(マンモス)の間に必然的なつながりがない。人間はその歴史のある時点で、物質を自らの意図に従属させることのできる能力を獲得したのだ。「モノが人間をつくる」のではなく「人間がモノをつくる」という現代人の常識も、このあたりに端を発するのだろう。 しかし人間の物質的基盤としての身体、そしてその身体が感じ想像するものは、我々にとってなお尽きせぬ驚異と探求の対象である。人体内には人間以外の他者、たとえば無数の微生物叢(マイクロバイオーム)が住まっており、それを病気の原因と見なして抗生物質で制圧することはさまざまな問題を引き起こす。のみならず(これは著者は述べていないが)微生物叢の状態は我々の情動とも密接に関わると言われている。人間は自らの思うようにモノを作る一方で、当の人間の身体と思考はある意味モノの働きに左右されているのである。 著者はさらに、ウィルスや放射性物質、偶像といったモノたちが作り出す通常の感覚を越えた超自然的世界についても考察していくのだが、それについては本書を実際に読んでいただくこととしよう。先史時代から現代に至る人類史の全領域を、物質・モノという観点から再構築する可能性を見せてくれるエッセイである。(はしづめ・だいさく=早稲田大学人間科学学術院助手・文化人類学)★ふるや・よしあき=九州大学大学院比較社会文化研究院教授・人類学・民俗学。著書に『憑依と語り』『縄文ルネサンス』など。