――『ブリュメール18日』の講義が光る――田畑稔 / 季報『唯物論研究』編集長・哲学研究者週刊読書人2020年4月17日号(3336号)マルクス入門講義著 者:仲正昌樹出版社:作品社ISBN13:978-4-86182-791-4この本は二〇一七年から翌年にかけて行われた『週刊読書人』スタジオでの連続講義をまとめたものである。巻末の広告によると、仲正は一四冊もの「講義シリーズ」を出している。講義題目も目が眩むほど幅広い。この知的な関心とエネルギーと遍歴と多くの読者を持つ個性的な人が一体どうマルクスを講じるのか楽しみだった。仲正はテクストを「実直に」淡々と読んでいく。マルクスとの適正な距離をとり、過剰な同一化や過剰な反発をさけ、読者に同調を求めることにも抑制的であり、背景説明や現代思想家たちとの絡みの紹介は豊富だ。 講義は『ユダヤ人問題』、『ヘーゲル法哲学批判序説』、『経哲草稿』が二回、『ブリュメール18日』、『資本論』第一篇第一章第四節「商品の物神的性格とその秘密」、そして「補講」アーレントのマルクス解釈の七回である。予想通り『ブリュメール18日』の講義が光っている。アーレント「補講」は仲正の進路を示唆するが、マルクス本としては尻切れトンボの印象を受ける。仲正自身、本書について「さほど体系的な読みにはならなかったが、マルクス主義者が無視しがちな細かい点についていろいろ深堀して考えることができたのではないかと思う」(「まえがき」)と書いており、その通りであるが、中間的なものなので批評が難しい。 急ぎ『ポスト・モダンの左旋回』(増補版、2017)を読むことにした。こちらには『博士論文』、『経哲草稿』、『フォイエルバッハ・テーゼ』を扱った章が含まれ、仲正の遍歴や今後の方向についても短いながら客観的に綴られている。何よりも本としての完成度が高く、評者のような旧世代の「ポスト・モダン」敬遠組に「食わず嫌い」を諫めてくれた。 世代もマルクスとの距離も違うが、評者も一九八六年から一九九二年まで大阪哲学学校で三〇回の「マルクスを読む」講義を行った。アソシエーション論、意識論、唯物論、哲学論、国家論などで自分なりに再読視点を提示し、現在は総体性問題に取り組んでいる。その立場から二点だけ感想を述べておきたい。 第一。仲正は本書で「哲学を中心に」マルクスを読むと書いている。私の理解ではマルクスは一八四五年を境に哲学の外部にポジションを占めようとしている。現代思想にとって脱哲学のテーマも根本的であり、これなしにマルクスの位置の限定も困難だ。少なくともラブリオーラのように「マルクスにインプリシットな哲学」として語るべきではないか。 第二。「表象のポリティックス」はグラムシのヘゲモニー論などと並んで政治行為をとらえる重要な視点である。しかし私の理解では、これらを、分業国家や階級国家に先立つマルクス国家論の端初規定(「社会の公的総括」)とどう繋ぐかという問題が残されている。(たばた・みのる=季報『唯物論研究』編集長・哲学研究者)★なかまさ・まさき=金沢大学教授・法哲学・政治思想史・ドイツ文学。東京大学大学院博士課程修了。著書に『ヘーゲルを越えるヘーゲル』など。一九六三年生。