後藤大輔 / 早稲田大学グローバルエデュケーションセンター助手・西洋政治思想史、アカデミック・ライティング教育週刊読書人2021年2月12日号近代イギリス倫理思想史著 者:柘植尚則出版社:ナカニシヤ出版ISBN13:978-4-7795-1494-4 感染症が蔓延する状況にあっても、人は孤立して生きていくことはできない。他者との関わりの中で生きているからこそ浮かぶ、様々な問いがある。オンライン会議に遅刻した者が会場にこっそり入室する際に感じる、あの心の痛みは一体何なのだろうか。アルバイトができず経済的に困窮している学生に支援金を拠出する行為は、純粋に利他的な行為なのだろうか、それとも、支援金で学生が助かる様子を思い浮かべることで得られる満足や、寄附金控除で自分の納税負担が減るという利益を予期していたのだから、それは利己的な行為でもあるのだろうか。医療崩壊を防ぐ名目で、国家が個人の活動の自由に制限を加えることは、どの程度(あるいはそもそも)許されるべきなのだろうか。これらの問いは、それぞれ道徳・人間・社会のあり方に関して、我々が抱く倫理学的な問いの一例である。 近代イギリスの思想家たちは、主権国家体制の確立・商業社会の発達・グローバル化の進展といった、現代社会に繫がる大きな変動の中で、道徳・人間・社会をめぐる倫理学的な問いについて、脈々と議論を積み重ねてきた。本書は、近代イギリスの思想家たちによる、そのような豊かな議論の全体像を描いた概説書である。 本書の特徴の一つは、道徳・人間・社会という三大テーマに関する議論を、自然法論・客観主義・感情主義、利己主義・利他主義、社会契約説・経済社会論など、時代を追って展開された一七種類の主義や立場に類別し、そうした一連の主義・立場の流れの中に、個々の思想家を位置づけている点である。扱われている思想家は三九名に上る。ホッブズ、ロック、ヒューム、スミス、ベンサム、J・S・ミルなどの日本でも馴染み深い思想家ばかりでなく、ウィリアム・ウォラストン(善悪の客観的実在と、論理的な推論によるその認識可能性を主張)や、ジョン・バルガイ(理性という能力が情動の助けを借りずにそれ自体で道徳的行為を導くと主張し、ハチスンの道徳感覚説を批判)など、日本では紹介される機会の稀な思想家についても、独立した節を設けて丁寧に論じられている。イギリス倫理思想史に関するこれだけ包括的な日本語概説書は、管見の限り他には見当たらない。『イギリスのモラリストたち』や『良心の興亡』等の前著に表れているような、著者の広い視野に基づく研究蓄積があってこそ、可能となった労作である。 本書のもう一つの特徴は、著者がいわば「公平な観察者」の視点から、諸々の主義・立場とそれらの相互関係を、偏りなく紹介している点である。各章の冒頭に、その章で扱われる思想家の位置づけが簡潔に整理され、続く各節で、各思想家の具体的な議論が、原典からの豊富な引用に基づいて紹介されている。紹介はあくまで原典に忠実になされており、著者による恣意的な解釈を思わせる箇所はまず見当たらない。こうした原典に基づく議論の紹介が中心ではあるが、異なる主義・立場による議論相互の関係についても、要所要所で説明されている。その説明を通じて読者は、ある思想家が、他の思想家の議論のどの要素を、どのような観点から批判したり、受け継いだりしたのかについても、一定の理解を得ることができるだろう。(著者自身は「あとがき」で、本書では思想家同士の相互関係が見えにくくなっていると述べているが…。) 巻末には、思想家や主義・立場ごとに詳細な参考文献が付されており、さらに理解を深めたい読者にとって、恰好の手掛かりを与えてくれる。各思想家の簡単な人物紹介などもあれば、読者が本文で紹介されている思想をより有機的に理解する助けとなったかもしれない。 近代イギリスの思想家たちは、現代の我々が倫理学的な問いを考える際に知らないうちに依拠しているような、基本的な思考の枠組みを様々に練り上げてきた。本書は、そうした思想の豊かな蓄積に分け入っていくための、信頼できる道標となることだろう。(ごとう・だいすけ=早稲田大学グローバルエデュケーションセンター助手・西洋政治思想史、アカデミック・ライティング教育)★つげ・ひさのり=慶應義塾大学文学部教授・倫理学・思想史。大阪大学大学院博士後期課程単位取得退学。著書に『良心の興亡』『イギリスのモラリストたち』など。一九六四年生。