――スマホから写真を再考する――伊集院敬行 / 島根大学法文学部准教授・映像論週刊読書人2020年4月24日号(3337号)新写真論 スマホと顔著 者:大山顕出版社:ゲンロンISBN13:978-4-907188-35-1写真とカメラの技術的発展の歴史とは、科学や産業の発展に伴うその改良の歴史であるだけでなく、映画や印刷に見るように他のメディアとの融合の歴史でもある。そのなかでもここ二〇年に進んだ写真とカメラのデジタル化は特に重要なものとして記憶されるだろう。対象の光を定着する技術が化学的なフィルムから電子的なデジタルへと変わったことで、カメラは今やスマホの一機能になり、誰もが簡単にきれいな写真が撮れるようになった。人々はディスプレイ上で撮影対象を捉え、撮影結果を確認しながら無数のシャッターを切った後、その中からお気に入りを選び、加工し、その私的な写真をネットに公開する。一方で人々は他人の私的な写真をネット経由で、これまたディスプレイで閲覧する。このように写真とカメラのデジタル化は、撮影対象、撮影の仕方、写真の利用の仕方、鑑賞の仕方を大きく変えた。もちろん、フィルムで撮影されたものであれデジタルで撮影されたものであれ、「対象の光の機械的複製」が写真の基本原理である。しかし、写真とカメラのデジタル化は、写真のこの特徴さえ相対的なものにしているように思える。 大山顕著『新写真論 スマホと顔』は、今、写真とカメラに起こっているこの変化、その背後にあるもっと大きな変化を捉えるための多くの手がかりを与えてくれる。本書で著者は、「自撮り」「キャプチャ」「削除」「盛る」「動画」「スクリーンショット」「タッチ」「スキャン」「シェア」「いいね」「インスタ」「ハッシュタグ」など、スマホやSNSをめぐって現れた新しい言葉に注目することで、写真のデジタル化とはつまるところ、カメラがネットワークの小型端末の一機能になったことで生じた写真の変化だったことを読者に気づかせてくれる。しかし、こうしたスマホの写真をめぐるいくつものエッセイから浮かび上がるのは、著者が「スマートフォンによってクリアになったそれ以前の写真の正体」と言うように、逆説的にも写真にそもそも内在していたものであった。たとえば著者はその一つとして、「自撮り」と「フロントカメラ」に、ルネッサンス以来の主観と客観、「見る」と「見られる」の関係の崩壊を認めるが、これこそ写真に影響を受けた印象派以降の絵画が取り組んだ問題である。この例からも分かるように、本書で示されるのはアナログとデジタルの間の断絶ではなく、デジタル化による写真とカメラの完成、写真がもたらした視覚の変容(視覚を一瞬で対象を把握する感覚とすることの否定、身体的感覚としての視覚と触覚の類似の気づき)である。 本書は、著者の写真家としての経験と、その写真家ならではのユニークな文学・芸術・大衆文化理解に基づいた「スマホと顔」についての考察である。そこではあたかも写真のように写真とカメラのデジタル化が描写・定着されており、著者自身そう言うように本書もまた一冊の写真集なのである。(いじゅういん・たかゆき=島根大学法文学部准教授・映像論) ★おおやま・けん=写真家・ライター。著書に『団地の見究』『立体交差』、共著に『工場萌え』『ショッピングモールから考える』など。一九七二年生。