――彼女たちの生きた日常生活・世界を丁寧に描く――石井香江 / 同志社大学グローバル地域文化学部准教授・歴史社会学・近現代ドイツ週刊読書人2021年1月1日号ナチス機関誌「女性展望」を読む 女性表象、日常生活、戦時動員著 者:桑原ヒサ子出版社:青弓社ISBN13:978-4-7872-2090-5 日本のドイツ史研究の中ではナチズム研究の蓄積こそ厚いが、そこに欠けているのは、「その時代を生きたドイツ人女性の存在であり、日常生活の視点である」と総括する本書は、一方ではナチス期に刊行された官製女性雑誌『女性展望』、他方では戦後直後にイギリス軍事政府に許可・刊行された女性雑誌『コンスタンツェ』という二つの性格の異なる雑誌の内容・表象分析を通じて、ナチス政権下の女性と敗戦後の西ドイツの女性の世界を、彼女たちの生きた日常生活(消費、家事・育児などの無償労働、有償労働の現場)を軸に、再構成している。 本書はドイツ人女性のたどった戦前・戦後の通史を、二次文献に依拠して手堅く跡付けるだけでなく、当該雑誌の記事や、本書にも多数収録される雑誌の図版を独自に分析した上で、通史の細部を丁寧に肉付けしていることに加え、戦前・戦中・戦後におけるドイツ人女性たちの経験、社会のジェンダー秩序の連続性について指摘する、貴重な研究成果となっている。日本のドイツ女性史研究の参照点となることはもちろん、女性の戦時動員、戦時・占領期のメディアの役割、占領期のドイツ人と占領軍の兵士との関係や生活に研究関心を持つ研究者や、この時代の日常世界の概要について知りたい一般読者にも、お勧めの一冊である。『女性展望』は官制雑誌らしく巻頭にナチ・イデオロギーや時事問題を特集する記事を掲載していたが、ファッションや料理などの実用ページを充実させ、読み応えがあり娯楽性の高い連載小説を提供した上、流行服の型紙を付録につけて、読者を惹きつけていたという。実用的アイディアのページには、肉を使わない週間献立の提案、代用品を使う工夫の数々、食料切符の不足を補う菜園作り、石鹸を使わない洗濯方法や石炭の節約方法など、物不足の戦時期を乗り切るための家庭の知恵が満載だった。開戦後は人出不足や男性の召集を理由に女性の無償・有償就労が促され、この時期の誌面には、召集された男性に代わり耕地を耕す他、家禽の世話、特設幼稚園での子どもの世話、農村女性の留守の間の家事仕事を引き受ける全国女子労働奉仕団員の活動が紹介されている。興味深いのは、工場に動員されたのは労働者階級の女性たちであり、戦時保育園や隣近所にいる、工場で働く母親を持つ子どもたちの面倒は、未就労の中流階級の女性たちが担ったという、戦時動員における階級差であり、本書では少し触れられるにとどまっているが、人種間の差もあった。事務、電話交換業務などの通信業務、料理、掃除や裁縫など従来「女性向き」とされた仕事だけでなく、戦闘に直接関わる高射砲の操作を男性に学ぶ女性たちの写真も掲載されている。中・上層階級の女性が忌避し、ナチスもその動員を徹底できなかった工場労働には外国人が投入されたが、国防軍の仕事には守秘義務の事情があり、それが不可能だったからだという。一般的には男性専科の世界と認識されていた国防軍内でも、「補助員」として働く女性たちは存在したのである。これを本書では「戦時のご都合主義が生み出した「男女平等」」であり、「戦争が終わればいとも簡単にリセットされてしまう」と表現されている。「全体主義から民主主義へ、どんなに政体が劇的に転覆しようとも、継続し続けるのは家父長制に根ざしたジェンダー観」であるという本書の歴史観が、その背景にあるのだろうが、企業の論理はどうであったのだろうか。 そもそも、第三帝国下の女性労働をテーマとするドイツを含む諸外国における実証研究の蓄積は厚く、本書のベースともなっている。その研究史を振り返れば、一九七〇~八〇年代半ば頃までは、女性と労働者を抑圧するメカニズムや構造の解明に重きが置かれ、ナチスは女性を労働動員せずに、労働市場から排除していたという見方がまだ強かった。その理由としてナチ・イデオロギーを重視する説、女性を労働動員することで国民の支持を失うことをナチスが恐れたという説があった一方で、本書のようにドイツ人女性のエージェンシー(行為主体性)を重視する研究は、中・上層階級の女性に労働動員に応じる意志がなかったこと、これに不満を持つ労働者階級や下層中間層の女性の状況に光を当てた。本書も基本的にこの研究史の流れに沿っている。ただし、ナチスが労働者階級や下層中間層の女性については労働動員し、中・上層階級の女性の労働動員を徹底しなかったのは、彼女たちの社会的統合を阻むことに対する懸念があった他、企業側も工場労働の経験のない中・上層階級の女性の身体的・専門的適性に疑いを持っていたからだ。企業は、低賃金でありながら、「働く意欲」も「能力も高く」、かつ、「要求の少ない」外国人女性労働者を調達しようとしたのだった。 資本の論理においては、ジェンダー、階級、人種に関するイデオロギーよりも、現場を稼働させる能力・意欲の「活用」が重要であり、この論理が効力を持つのは、必ずしも戦時期だけに限らない。本書にも記されているように、「経済の奇跡」の時期にドイツ人女性が「安価な単純労働力として資本主義経済に都合よく使われた」ことは事実であるが、男女の外国人労働者もまた、戦時期に限らず戦後の東西ドイツ社会の繁栄を後押しし、統一ドイツ社会を支える存在であったこと、差別は複合的な問題となることは忘れてはならないだろう。(いしい・かえ=同志社大学グローバル地域文化学部准教授・歴史社会学・近現代ドイツ)★くわはら・ひさこ=敬和学園大学人文学部教授・ドイツ文学・ドイツ現代文化。共著に『時代を映す鏡としての雑誌 18世紀から20世紀の女性・家庭雑誌に表われた時代の精神を辿る』『軍事主義とジェンダー 第二次世界大戦期と現在』など。