――日本の中国史研究、歴史家の使命、グローバル・ヒストリー――砂山幸雄 / 愛知大学現代中国学部教授・現代中国政治思想週刊読書人2021年1月29日号「中国史」が亡びるとき 地域史から医療史へ著 者:飯島渉出版社:研文出版ISBN13:978-4-87636-457-2「物騒な」書名だが、もちろん中国が亡びるのでも、中国の歴史が止まるのでもない。亡びるというのは「日本の中国史」のほうである。その「ガラパゴス化」を憂慮した著者が、書名の元となった論文(本書に再録)を雑誌に発表したのは十年前。著者は中国近現代史の研究者として出発し、やがて近代東アジアを襲ったマラリアやペストなどの感染症史を精力的に開拓してきた。本書はこの「本籍中国史、現住所不定」、自称「ノマド歴史家」の越境する思索の足跡を記したエッセイ集である。 本書は日本の中国史(とりわけ近現代史)研究に対する厳しい自己省察に貫かれている。日本の中国史研究は漢文訓読の素養を基礎に、ヨーロッパの実証主義史学を方法とし、植民地とした地域を研究対象として成立した。外国史研究がさかんな日本の歴史学において、近代化モデルとしての欧米諸国を対象とした西洋史に対し、東洋史は植民地主義の展開とともに発展した。この「帝国の遺産」のおかげで敗戦後の「日本の中国史」は命脈を保ってきたが、一九八〇年代にはそれも食い潰してしまった。これからの「中国史」はグローバル・ヒストリーの中で位置を確保していくほかないのではないか。 この見解に反響はかなりあったが、「反発というより共感が多く、いささか拍子抜けした」と著者はいう。しかし、歴史学に限らず世界の中国研究が急速に拡大充実するなかで、日本語の発信力低下は顕著だし、中国史が「実証性の優位」を誇って、西洋史や日本史への問題提起を怠ってきたという指摘も、思い当たる者は多かったに違いない。 著者の指摘の中で、とくに膝を打ったのは日本史との関係である。日本の中国研究者は中国の日本研究者との交流も多い。「日中歴史共同研究」のような場面では、日本の中国史研究者と中国の日本史研究者が向き合うのが常である。だが日本の中国史研究者はどのくらい「中国の日本史」に関心を持ってきただろうか。著者は中国人のステレオタイプな日本観の背景には「多様性を持った日本史がない」ことがあるとして、日本の中国史研究者が中国の日本史研究に関心を寄せ、それを日本史研究に還元する必要があるという。確かに、日本の中国研究者は中国の日本研究者と向き合う際、中国に関する問いをぶつけるのに急で、相手の関心には無頓着になりがちになる。 中国史は中国語か英語かで発信すべきだという主張も、たんに「日本の中国史」を救うためだけではない。中国にとっても、自らを再認識することができるよう「他者の目線がぜひとも必要だ」からである。こうした考えには、歴史家としての強い使命感を感じ取ることができるが、医療史のプロジェクトを行っているときも、「未来を憂うる専門家としての歴史家の使命は(中略)科学者に力を貸すことではないでしょうか」というル=ロワ=ラデュリの言葉を常に意識しているという。 本書には八重山やレイテ島でのマラリアや日本住血吸虫症などの防疫史、さらにはコロナ禍に襲われたクルーズ船の検疫問題を扱った文章が含まれている。歴史研究者は「感染症・寄生虫症の抑制経験の歴史化」の作業において科学者に貢献すべきであるとして、著者が最も強調しているのは資料の作成・保存の重要性である。クルーズ船問題について、意思決定をめぐり「組織的に証言記録を残すことが重要」と説き、それは「犯人探しでなく、国際的なレッスン」とするためだと述べているのは、深刻さを増すコロナ禍のなかで忘れてはならない論点であろう。 本書の最後には「歴史の授業」に関わるエッセイがまとめられている。その中の一篇で、中国や台湾、韓国の学生に「世界史」を語った体験を語りつつ、「世界史」が日本と周辺地域との関係構築においてソフトパワーとしての役割を発揮できる可能性があると述べている。この地域ではナショナル・ヒストリー同士が角突き合わせる状況が続いているにも関わらず、それぞれの「世界史」の内容は、「拍子抜けするほど」共通している。それは、日本の「世界史」がこの地域に「事実上ある種のスタンダードを提供し」たという事情によるのだが、そうした共通基盤の存在がこの地域における歴史共有のきっかけになるのではないか。これこそグローバル・ヒストリーの重要な役割の一つであり、日本の中国史研究もその中で貢献できるというのが著者の希望なのであろう。こうした著者の問題提起は中国史研究者だけでなく、東アジアの現在と将来に関心を持つ多くの人びとにも聞き届けられるべきではなかろうか。(すなやま・ゆきお=愛知大学現代中国学部教授・現代中国政治思想)★いいじま・わたる=青山学院大学文学部教授・東洋史。著書に『感染症の中国史』など。一九六〇年生。