――アメリカ的価値観とベトナム的価値観を仲介する一・五世代に注目――坂川直也 / 東南アジア地域研究研究所連携研究員・東南アジア地域研究週刊読書人2020年11月6日号「リトルサイゴン」 ベトナム系アメリカ文化の現在著 者:麻生享志出版社:彩流社ISBN13:978-4-7791-2707-6 本書はリトルサイゴンを舞台に目覚ましい発展を見せるベトナム系アメリカ文化・文学の現在について、論じた本である。まず、著者はまえがきで、研究し始めの頃、とんでもない間違いを犯していたことを告白する。ベトナム系の大半が「移民」だと思い込んでいたが、実は「難民」だったという間違いだ。そして、「移民」とは自らの意思で個人的な目標や目的をもって祖国をあとにした人々で、一方、「難民」とは政治的苦境、経済的困難等の外的要因から、やむなく祖国を出なければなかった人々を定義する。ベトナム系の大半が「難民」である背景には、かつてアメリカが支援したベトナム共和国(南ベトナム)の崩壊が関わっていることを指摘する。 著者がベトナム系を論じるうえで、注目するのは世代で、特に一・五世代である。この一・五世代とは、一九七五年南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミンシティ)が北ベトナムによって陥落する前後に脱越し、アメリカで中高等教育を受け成人した世代で、「アメリカ的価値観とベトナム的価値観」を仲介する役割を担っている。そして、この一・五世代がアメリカ文化にもたらした最大の功績は、ベトナム戦争に対する視点の多様化であると評価する。 本書の第一部では、一・五世代を代表する作家ラン・カオ(一九六一~)とヴィエト・タン・ウェン(一九七一~)のふたりが取り上げられ、ベトナム系文学の現状が論じられる。続く第二部では、一・五世代の映像芸術家で、越境を繰り返しながら作品制作に取り組むヴェト・レ(一九七六~)とディン・Q・レ(一九六八~)が取り上げられ、ベトナム系映像芸術の世界が考察される。最後の第三部では、ベトナム国外で生まれた第二世代のふたりの作家によるグラフィックノベルが取り上げられる。そのふたりとはアメリカ生まれのGB・トラン(一九七六~)、フランス生まれのクレメン・バルー(一九七八~)で、バルーの章だけ、フランスから観るアメリカのベトナム系の物語について議論を進める。取り上げられるベトナム系の各作品は、難民たちが経てきた越境の傷、痛みの記憶が刻み込まれた、小さな物語の集積が魅力的で、特に、未翻訳である第三部のグラフィックノベル『ヴェトナメリカ』、バンド・デシネ『ヴェトキューの記憶』は翻訳が待たれるところだろう。 さらに、来年二〇二一年は、ベトナム系の盛り上がりが予想される当たり年で、三月に、ヴィエト・タン・ウェン『シンパサイザー』(早川書房)の続編(舞台はフランス)がアメリカで刊行され、夏には、ベトナム系の若きスター、詩人オーシャン・ヴオン(一九八八~)のデビュー小説『地上で僕たちはつかの間輝く』が新潮社から翻訳予定である。今後、日本でもさらなる注目を集めるであろう、ベトナム系の歴史背景、その活動と作品世界を知るうえで、本書は入門書として最適な一冊だろう。ただし、個人的なないものねだりを書くとすれば、ベトナム系のアメリカ文化の現在を知るうえでは、取り上げられた作家、芸術家がまだまだ少なく、物足りない。例えば、『血液と石鹸』(ハヤカワepiブック・プラネット)、『アメリカ死にかけ物語』(河出書房新社)のベトナム系ブコウスキー、作家リン・ディン(一九六三~)、T・S・エリオット賞を受賞した、オーシャン・ヴオンの詩集『射出創を持つ夜空』、そして『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ローズ・ティコ役の俳優ケリー・マリー・トラン(一九八九~)に関しての考察も読んでみたい。次はアメリカ生まれの第二世代に焦点を当てた、続編を期待している。(さかがわ・なおや=東南アジア地域研究研究所連携研究員・東南アジア地域研究)★あそう・たかし=早稲田大学教授・現代アメリカ文化・文学研究。著書に『ポストモダンとアメリカ文化 文化の翻訳に向けて』『『ミス・サイゴン』の世界戦禍のベトナムをくぐり抜けて』、訳書に『蓮と嵐』(ラン・カオ著)など。一九六五年生。