――「ジャングル大帝」の成立や描き換えの経緯を緻密に検証――森下達 / 創価大学講師・ポピュラーカルチャー研究週刊読書人2021年12月31日号・2021年12月24日合併手塚治虫は「ジャングル大帝」にどんな思いを込めたのか 「ストーリーマンガ」の展開著 者:竹内オサム出版社:ミネルヴァ書房ISBN13:978-4-623-09273-4 一九四〇年代後半にデビューした手塚治虫は、映画的な構図やカット割りをマンガのコマわりに持ちこんだ。一般的には、今なおそのように理解されているといっていいだろう。しかしマンガ研究においては、とりわけ九〇年代後半以降、こうした歴史観は論争の的になってきた。仰角や俯瞰などの視角も、四角形以外の変形ゴマも、戦前・戦中期の作品にすでに見出すことができるからである。手塚の表現手法については、現在はむしろ、戦前・戦中期との連続性が強調されるようになっている。 とはいえ、大まかにいって、表現は物語の中で特定のニュアンスを醸成するために用いられるものでもあるはずだ。個々の手法にこだわり過ぎ、この点をなおざりにしてしまっては、かえって手塚の真価を見損なうことにもなろう。著者の竹内は本書の「はしがき」で、「これまでの子どもマンガにはない表現と内容をあわせもつ」手塚の初期の代表作「ジャングル大帝」の分析を通して、「ストーリーマンガの実験、その内実をあからさまにしようと試みる」と宣言しており、物語の内容にも注意を払っていることがわかる。こうした姿勢は、ちょうど同時期に手塚の初期作品を分析する著作(『ストーリー・マンガとはなにか』青土社、二〇二一年)を発表した筆者としても、共感するところが大であった。「ジャングル大帝」は、複数のキャラクターの成長や死が複雑に交錯する大長編である。本書最大の達成は、その成立過程を丁寧に解きほぐしているところにある。デビュー当初、手塚は赤本と呼ばれるマンガ単行本の世界で活躍していた。「ジャングル大帝」も、当初は赤本としての発表を予定しながら、雑誌連載に変更された経緯を持つ。著者は、残された創作ノートを丹念に分析することで、構想から連載に至る過程でさまざまなモチーフが導入され、物語が膨れ上がっていく様を捉えてみせる。「ジャングル大帝」には、『リヴィングストン言行録』(一九〇八年)や『赤道直下の寒帯』(一九三一年)といった記録文学はもちろん、「密林の王者」(一九三三年日本公開)や「バンビ」(一九五一年日本公開)、「エベレスト征服」(一九五四年日本公開)などの映画、さらには『地球の今昔』(一九二九年)等の教養書も影響を与えていた。こうした分析を通じ、本書は、特に手塚のマンガが「〈引用+加工〉の文化」としてあったことを鮮明に打ち出すことに成功している。 手塚は一九五〇年代前半、単行本とは勝手がちがうことに戸惑いながらも「ジャングル大帝」の連載に力を注ぎ、さらに改稿した上での単行本化にも取り組んでいった。著者はこの過程にも目を向け、手塚が「本来目指していたストーリーマンガの理想」「手塚の求めた表現のスタイル」を浮かび上がらせることを図る。この検討からは、連載時における読者の注意を惹くための場面転換が削除され、関連するエピソードが統合されていることや、物語展開上の重要な場面でコマの数が増やされ、登場人物の心理への焦点化が行われていることが見えてくる。なお、「ジャングル大帝」ははじめての単行本化によっては完結に至らず、全編を収録する単行本の発行まで紆余曲折を経たことで知られるが、その整理も鮮やかだ。 もっとも、描き換えの分析が細やかに行われている反面、そうした変化がマンガ表現史の中でどのような意味を持ち得るのかということは、本書の関心の外に置かれている。例えば著者は、一九七〇年前後の時期、および七六年の単行本化の際の描き換えで、ページの入れ替えが行われた結果、最初にあった左右見開きのレイアウトが崩れていることに注意を促す。その上でこれを「手塚の意識が成長していなかった」「未成熟な部分」とまとめるのだが、これについては、マンガ表現に関する既存の研究と結びつけて理解する必要があるのではないか。 マンガには、「フレームの不確定性」――すなわち、物語を語る上でのフレームが紙面なのかコマなのかが一義的に決定できないという特徴がある(伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』NTT出版、二〇〇五年)。そして、戦後日本のマンガで支配的な表現様式となったのが、フレームとしてのコマによって特定の視点からの光景を切り取り、読者の視線を誘導することでそれらの光景を継起的に眺めさせる「映画的様式」だった(三輪健太朗『マンガと映画』NTT出版、二〇一四年)。これらを踏まえるならば、左右見開きのレイアウトが重視されていないという事実は、この時期の手塚が、デビュー当初と較べても、コマをフレームとして機能させる様式に寄り添うようになっていることを示すものとして受け取れるだろう。手塚の表現上の実践を取り上げる際、それが「ジャングル大帝」という作品に何をもたらしているかに焦点化することで、本書は議論の精度を高めている。しかし、そうした表現が同時期のマンガの中でいかなる位置にあるかを示してこそ、見えてくるものもあるはずだ。 とはいえこれは、本書の瑕瑾というより、筆者含め後進のマンガ研究者に残された課題として受け取るべきだろう。「ジャングル大帝」は、知名度と内容的完成度の高さに反して、これまであまり陽があてられてこなかった。決定版的な研究書が出版されたことを、今は素直に喜びたい。(もりした・ひろし=創価大学講師・ポピュラーカルチャー研究)★たけうち・おさむ=同志社大学教授・マンガ史・児童文化。大阪教育大学大学院修士課程修了。著書に『手塚治虫 アーチストになるな』『手塚マンガの不思議』など、共編著に『マンガ文化 55のキーワード』など。一九五一年生。