――不条理がまかり通る過酷な現実に抵抗する――パンス / ライター・DJ・テキストユニットTVOD週刊読書人2021年4月23日号ヒップホップ・アナムネーシス ラップ・ミュージックの救済著 者:山下壮起・二木信(編)出版社:新教出版社ISBN13:978-4-400-31092-1 ラップ/ヒップホップは、そのルーツを辿っていくとすでに五〇年近い歴史を経ており、現在、その音と言葉は世界を席巻している。そしてこの五〇年は、「公民権運動以後」、ブラック・ライヴズ・マターに至る黒人運動の歴史とも重なっている。 その二つは絡み合っているのだが、その「絡み合い」の語られ方に関しては慎重にならなければいけない。ラップ/ヒップホップがかつての労働歌のように、人々の団結を促したという認識は、当たっている部分もあるが、それだけではこの広大な表現を語ることはできない。例えばギャングスタ・ラッパーたちは反社会的な生き様を露悪的にラップするが、それはとりもなおさず「一般的に正しい」主張ではないゆえに、多くの批判に晒されてきた。つまり、抑圧に対して「正しく」抵抗する、という構図をラップ/ヒップホップに適用することには無理があるのだ。 では、抑圧する社会と個人、そこで生まれるヒップホップに、キリスト教という切り口を入れてみるとどうだろうか。本書の著者、山下壮起は、前著『ヒップホップ・レザレクション』からその試みを行っている。より正確には、「キリスト教の限界を打ち破る救済の音楽」(まえがきより)として、ヒップホップを捉えている。 Netflixドキュメンタリー『13th 憲法修正第13条』にも描かれている通り、公民権運動の盛り上がりを経た七〇年代以降、有色人種への差別はより巧妙になった。ドラッグの蔓延に対し政府が大規模摘発を呼びかけ、「犯罪者」を大量投獄し、疎外する。政治・メディアとビジネスが一体となった「産獄複合体」が、新たな人種主義を生み出した。つまり、犯罪などを行わず、世間一般に従う「よき行動」をしていれば問題ないが、犯罪者であれば問題だという構図が生まれたのだった。本書に収録された論考では、保守化した黒人教会も、その構図の固定化に手を貸したとされる。つまり、貧しくクラック・コカインに囲まれた生活を送る人々に、キリスト教会は手を差し伸べなかった。そんななか、彼らに支持されるラッパーたちこそが「福音」を呼び起こしているのではないか。ラッパーは現在自分が置かれている境遇、ストリートの現実について「正直に」に表明する。それらはギャングスタ、「ならず者(サグ)」たちの生き様だ。それならば、ガリラヤの人びとの現実を見つめ、徒党を率い、結果的に処刑されるイエスもまた、ギャングスタとしての足跡を残しているといえるのではないか。そんな大胆な提起がなされている。 加えて、過酷な現実の中で死んだ者たちに呼びかけ、いま生きる者たちのコミュニティとともにあると定義するラッパーたちのスタイルもまた、キリスト教の信仰との共通性がある。それが「アナムネーシス=想起すること」とされる。 本書の構成は大きく二つに分かれる。各論者による論考を収録したチャプター1、それらを日本の現状に照らし合わせ、現在活動するラッパーたちの取材やディスクガイドをまとめたチャプター2。現場の声を記録することで、理論をさらに説得的なものにしている。では、日本の状況はどうだろうか。ラッパーたちのインタビューに共通して見られるのは、過酷で不条理がまかり通る現実の中で、自分を取り巻くコミュニティや、自分自身の実存をどう定義づけ、表出させていくかというメッセージだ。社会や世間というシステムが押し付けてくる規範意識や、資本の抑圧に対してどう対抗していくか。その思考がラップとして社会に還流していく。本書でのBADSAIKUSH(舐達麻)のインタビューにある通り、内省の果てにおいて「間違っていることを正しいと歌わない」という意識。それは現在、もっとも必要とされている感覚だろう。(パンス=ライター・DJ・テキストユニットTVOD)★やました・そうき=神学者・日本キリスト教団阿倍野教会牧師。著作に『ヒップホップ・レザレクション ラップ・ミュージックとキリスト教』など。★ふたつぎ・しん=音楽ライター。著書に『しくじるなよ、ルーディ』など。