――その相互関係の検証に取り組んだ労作――吉田裕 / 一橋大学名誉教授・日本近現代史週刊読書人2021年5月14日号アジア太平洋戦争と収容所著 者:貴志俊彦出版社:国際書院ISBN13:978-4-87791-308-3 内海愛子『日本軍の捕虜政策』(青木書店、二〇〇五年)などの研究によって、日中戦争期、アジア・太平洋戦争期の日本軍の捕虜政策、日本軍の捕虜収容所の苛酷な実態が明らかにされつつある。また、捕虜となった日本人についても、秦郁彦『日本人捕虜(上)(下)』(原書房、一九九八年)などの貴重な研究成果がある。本書は、中国国民政府の支配地域にあった様々な収容所に関する詳細な研究であり、従来の研究をさらに発展させるものとなっている。中国の収容所に抑留されていたのは、日本人捕虜、日本人官吏・居留民などの民間人、「敵国人」であるドイツ、イタリアの一般市民・宣教師などだが、本書が分析の対象としているのは、主として次の三つである。一つは、国民政府の捕虜や民間人抑留者に対する政策の歴史的変遷である。二つ目は、収容所の実態である。そして、三つ目には、抑留者の保護や支援に取り組んでいたYMCA国際戦俘福利会、赤十字国際委員会などの国際救済機関の活動である。中国政府の政策に関しては、国際法に準拠した「捕虜優待政策」が大枠では維持されたものの、深刻な逸脱行為があったことが明らかにされている。三民主義イデオロギーによる捕虜に対する教化活動、軍事情報提供の強要、収容所関係者による食糧や医薬品の「ピンハネ」、その結果としての抑留者の待遇の悪化などである。日本人捕虜の死亡率がかなり高いことも、私は本書で初めて知った。また、日本の敗戦前後の時期には、国共内戦に日本人捕虜を動員しようとする政策もとられた。 収容所に抑留されていた人々に関しては、何よりもその多様さに驚かされる。日本人捕虜と言っても、その中には朝鮮人、台湾人、そして中国側の分類だが「琉球人」が含まれている。狭義の日本人捕虜に関しては、「反戦同盟」などに参加した将兵のことが注目されがちだが、本書では「反戦同盟」に反発した将兵、同調しなかった将兵にも丁寧に目配りがされている。また、「敵国人」抑留者とは別に、中国に長く滞在していた「敵国籍」の宣教師が存在する。彼らは公的資金の援助がない、非正規の集中営で自弁の抑留生活を送っていた。さらに、本書で初めて知ることができたのは、中央アジアから中国領に入り中国政府によって逮捕・抑留されたヨーロッパ系の人々の存在である。ソ連からの亡命者・移民・流民などを中心にした多様な抑留者だが、まさに「周縁地域のポリティクス」を象徴する存在である。国際救済機関に関しては、本書の分析から明らかなように、その記録が収容所の実態を知るうえで極めて大きな意味を持っている。同時に、国際救済機関は、中国奥地の収容所と国際社会を結ぶ媒体でもあった。救済機関の援助も受けて日本人捕虜が発行していた雑誌、『HOPE(希望)』が、国際社会へ中国側のメッセージを発し続けていた事実は、そのことをよく示している。本書の問題意識について著者は、「ローカルヒストリーと世界史との相互関係の検証」と説明しているが、まさにそうした課題に正面から取り組んだ労作だと言えよう。なお、中国軍の捕虜となったのち、アメリカに移送された海軍大佐・沖野亦男に対する尋問に関しては、中田整一『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』(講談社、二〇一〇年)が参照されるべきだろう。(よしだ・ゆたか=一橋大学名誉教授・日本近現代史)★きし・としひこ=京都大学東南アジア地域研究研究所教授・二〇世紀東アジア史、表象・メディア研究。著書に『日中海底ケーブルの戦後史』『満洲国のビジュアル・メディア』など。