――新たなうらたじゅんに、マンガ表現の面白さに出会い続ける――秦美香子 / 花園大学教授・マンガ研究週刊読書人2020年4月3日号(3334号)ザ・うらたじゅん 全マンガ全一冊著 者:うらたじゅん出版社:第三書館ISBN13:978-4-8074-1999-9特定のテーマで行儀よくまとめられた作品集ではない。一人の人間が生き、描いた世界の広がりを見せつけることで、うらたじゅんという作家そのものを浮かび上がらせていく作品集である。うらたじゅんとはどういう作家なのかがこの作品集を読めば簡単に見渡せる、ということではない。個々の作品のテーマは、女性の性的欲望、子ども時代の思い出、少女または少女文化、淡い恋心、(戦後の視点からの)太平洋戦争、学生文化、老いと死など、様々である。テーマに合わせて絵柄も異なっている。読み進めながら「うらたじゅんの雰囲気がだいたいわかった」と思った瞬間に、全く違うタイプの作品が登場するのだ。正直言って、よくわからない作品もある。しかし、強く惹かれる作品に出会って、ハッとさせられたりもする。人を一瞬で理解することなど不可能であるように、この本も一気に読むのではなく、個々の作品に向き合いながら、少しずつ味わうのが良いように思う。評者は「ポンタのこと」がとても気に入った(なおこれ以降、この作品のネタバレを含む)。他の作品とは違って、子ども向け作品のような絵柄で描かれている。「むかしむかし あるところに おじいさんと おばあさんが 住んでおりました」というモノローグから始まる、タヌキとおじいさんの出会いと別れの物語である。ある夜、お寺から家に帰る道すがら、おじいさんはポンポコと鳴る音に気付いて後ろを振り返る。するとそこに、腹鼓を叩く小さなタヌキが立っている。おじいさんは、タヌキがぐーぐーと腹を鳴らしたので、持っていた握り飯をわけてやる。次第にタヌキはおじいさんになついていき、おじいさんもタヌキをポンタと名付けて可愛がったようだが、ある日、家までついて来たポンタの目の前で扉をピシャンと閉めてしまう。ペットとして家で飼うわけにはいかないと思ったからだ。その晩、雨戸を叩くような音が聞こえ、おじいさんはタヌキが怒って石を投げているのだと感じる。それきり、おじいさんはポンタの姿を見ていない。タヌキは大きな目で可愛らしく描かれ、おじいさんの声かけにうなずいたり、腹鼓を叩いて答えたりする。寝るときは落ち葉でベッドを作って、「おかあたん…」と独り言をつぶやきながら眠るのだ。おじいさんの様子を描いたコマは現実的に描写されているのに、タヌキのコマは完全に絵本の世界である。作品の最後で、不意におじいさんの孫娘に視点が移動する。孫娘がおじいさんたちを新幹線のホームで迎える様子と、大人になった孫娘が新幹線に乗る様子が簡潔に描かれる。つまり、実はそれまで描かれていたものは、孫娘が子どもの頃におじいさんからタヌキの話を聞きながら想像していた情景だったのである。もし、この分厚い作品集を一気に読んでしまえば、おそらくこのカラクリには気付けず、単に可愛いタヌキを描いた子供向けのお話だととらえるはずだ。しかし作品にじっくり向き合えば、十二ページの短い物語の中に、過去と現在、現実と記憶と想像のイメージを織り交ぜる表現の巧みさに感心せずにはいられないと思う。きっと評者も、今後もこの本を読み返すたびに、新たなうらたじゅんに、そしてマンガ表現の面白さに出会えるような気がする。(はた・みかこ=花園大学教授・マンガ研究)★うらた・じゅん(一九四五~二〇一九)=マンガ家。単行本に『眞夏の夜の二十面相』『赤い実のなる木』など。