――世界の規範と個人の正義を問う――若林踏 / 書評家週刊読書人2020年10月23日号楽園とは探偵の不在なり著 者:斜線堂有紀出版社:早川書房ISBN13:978-4-15-209961-7 ミステリ小説における探偵とは、謎解きを行う装置の役割を果たす。では解くべき謎がもしも世界から無くなった時、探偵の存在意義はあるのだろうか。そのようなジャンルの価値観を揺さぶる実験に取り組んだのが、斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』である。 本書で描かれる世界には、〝天使〟が存在している。ある国の争いの最中、とつぜん地上に舞い降りてきた〝天使〟たちには習性があった。それは二人以上殺した人間を業火で囲み、即座に地獄へ堕とすいうものだ。一人を殺しても地獄には堕ちないが、二人殺せば地獄行き。奇妙なルールが世界に課された後、探偵が追うような連続殺人事件は起こらなくなった。二人目を殺した時点で、殺人者自身が自動的に消されてしまうのだから当然である。 ところが本書の主人公である青岸焦は、そのような法則に反する出来事に遭遇する。青岸は〝天使〟の降臨以前は、それなりに繁盛する事務所を構えた私立探偵だ。しかし〝天使〟降臨後は生きるのに必要最低限な仕事だけを受けて、細々と稼業を続ける身分になっていた。ある時、青岸は仕事を通じて大富豪の常木王凱と知り合う。常木は〝天使〟マニアと知られており、彼の所有する常世島は無数の〝天使〟が上空をはばたいている場所であった。その常木が、常世島に来ないか、と青岸を誘うのだ。常木は青岸に言う。「その島で我々は、天国の有無を知ることができる」意味深な常木王凱の言葉に誘われ、常世島を訪れた青岸は、洋館で起きる「連続殺人」に直面することになる。 現実とは異なるルールが敷かれた舞台で謎解きを構築する、特殊設定ミステリである。特徴的なのは、「二人殺せば地獄行き」という複雑なルールを創造した上で、更にそのルールを無視したような謎を作ってみせた点にある。徹底的なまでに虚構に淫し、どこまでも純化された空間で謎解きと戯れることが出来る物語を作る。そのような気概に満ち溢れた小説である。もちろん気概だけではなく、随所にある仕掛けも手が込んだものだ。作中に散りばめた部品を巧みに利用しており、謎解きの満足度を高いレベルに仕上げている。 本書はテッド・チャンの短編「地獄とは神の不在なり」(ハヤカワ文庫SF『あなたの人生の物語』所収)にインスパイアされた物語であることを作者が述べている。くだんの短編は誰もが等しく理不尽な出来事に見舞われることを示唆したもので、その点が本書における〝天使〟の存在に通じるのだ。 斜線堂有紀はこれまでの作品でも、理不尽な運命に見舞われた人々の抗いをたびたび描いていた。しかし、本作で描かれる理不尽は過去のそれとは比にならない。〝天使〟の降臨が作り上げたものは、全人類をまるごと飲み込む、余りにも巨大な理不尽であり、人々の規範意識や倫理観をひっくり返してしまうものだからだ。それに対して、青岸焦のようなちっぽけな個人が正義を掲げて謎を解くことが出来るのか。いや、そもそも事件を調べるという行為に、意味はあるのだろうか。 ここに本書のミステリとしての独創性を感じる。社会が裁くことの出来ない底なしの悪に対して、小さな個人の正義を為すことは出来るのか、という問いは、特に一九八〇年代の米国私立探偵小説やサイコサスペンス小説を中心に描かれていた、ミステリ小説史における重要なテーマの一つである。斜線堂はこの重要課題を、特殊設定ミステリの器を借りて、更にスケールアップさせて現代の読者に投げかけてみせる。近年書かれた特殊設定を使った謎解きミステリで、ここまで壮大なテーマに挑んだ作品は他には無いだろう。 不気味な容貌を持つ〝天使〟の降臨がもたらしたものは、謎解きの愉楽だけではない。世界の規範と個人の正義、というミステリ小説が抱える問題について、新たな地平を切り開いてみせたのだ。(わかばやし・ふみ=書評家)★しゃせんどう・ゆうき=作家。著書に『私が大好きな小説家を殺すまで』『詐欺師は天使の顔をして』『恋に至る病』など。