著者から読者へ 竹内正実 / テルミン/マトリョミン演奏家、マンダリンエレクトロン代表週刊読書人2022年2月11日号 テルミンとわたし かたちのない、音のかたちを求めて著 者:竹内正実出版社:工作舎ISBN13:978-4-87502-537-5 テルミンが発明されて今年で102年。テルミンはロシア人の物理学者、レフ・テルミンが創った世界最古の電子楽器です。 この楽器には鍵盤や指板といった音の高さの基準がなく、代わりに垂直方向と水平方向に伸びたアンテナが備わっています。「ド」はどこに位置しているか示されていません。基準は楽器の側になく、弾く人のイメージの中にあるのです。アンテナからは電波が発せられ、虚空をつま弾くように触れずに奏でます。ゆらゆらと揺れる音をしつけておくだけでも、高い技術と精神集中が求められます。「ドレミ」を弾くのがこれほど難しい楽器もありません。奏でる人の表情は自然と武芸の達人のように険しくなり、揶揄して「テルミン顔」とも呼ばれます。テルミンほど演奏する際の表情が楽しそうに見えない楽器もないとよく言われます。 私は1993年ロシアに渡り、発明者の血縁にテルミン演奏法を習いました。当時日本には奏者はおらず、教えてくれる人もいませんでした。かつては演奏不可能と考えられ、演奏者が少ないことも特徴と言われていたテルミン。今や日本は演奏者人口が世界で最も多い「テルミン大国」にまで成長しました。そうした土壌もあり、私は自ら開発したマトリョーシカ型テルミン「マトリョミン」による合奏で、ギネス世界記録も樹立できました(289人、「最大数のテルミン演奏」において)。本書では、こうした私のあゆみについて触れ、日本におけるテルミン普及の歴史の一端を示しています。 テルミンは社会主義革命に揺れるロシアで発明され、時代の変わり目ごとに注目されてきました。音楽を縛る音律や音階から解放されたこの楽器は、分かりやすい「自由」を象徴するアイコンで、かつてはサイケ・カルチャーやフリー・ミュージック信奉者にも支持されました。テルミン発明第二世紀に突入した今、再びテルミンやマトリョミンに関心を寄せる人が増えています。 先述したようにテルミン演奏では高い技術と集中力が求められます。演奏動作の「型」を自らの中に打ち立て、動作をひたすら洗練させていく必要があります。茶道や華道、弓道など型が求められる芸道を嗜む人と、テルミンを奏でる人のありようはどこか似ているような気がします。自由な楽器というイメージとは裏腹に、演奏の美を求めるならば、これほど不自由な楽器もありません。音の高さを一定に保つだけでも知恵熱が出るように疲れますが、この精神的負荷の重さこそが、心を鎮めるマインドフルネス効果があると言われるゆえんでしょう。 私が子どもだった頃と比べると、今や自由を実感できる機会は増えました。しかし世間を見渡してみれば、ストレスを抱え、イラついている人もまた増えた実感があります。「自由な不自由」「不自由な自由」とよく言われます。私は現代人が抱える不安の原因は意外にも「自由」にあるのではないかと考えています。何不自由ない暮らしを捨てて、厳しい仏門に入り修行に勤しむ人たちは、不自由の先に希望を見出しているのかもしれません。 楽器テルミンは、ある面ではとても「不自由」で、その不自由の先に「自由」を見るとはなんとも逆説的ですが、これが現代の時代性で、テルミン演奏が求められる背景ではないかと考えています。本書はこうしたテルミンの独自性についても多角的に記しています。さらにこれから習いたいという初心者に向けた演奏ガイダンスも収録しています。 すでにテルミンやマトリョミンに関心をもってらっしゃる方はもちろん、コロナ禍でステイホームを強いられるなか、新たに楽器演奏に挑戦しようとお考えの方にも手に取っていただければ幸いです。(たけうち・まさみ=テルミン/マトリョミン演奏家、マンダリンエレクトロン代表)