関智英 / 日本学術振興会特別研究員・明治大学兼任講師・中国近現代史専攻週刊読書人2017年3月17日号日清戦争における日本外交 東アジアをめぐる国際関係の変容著 者:古結諒子出版社:名古屋大学出版会ISBN13:978-4-8158-0857-0本書は日清戦争開戦からその戦後処理までの日本外交を、東アジアにおける列強や清の動向を踏まえて分析したものである。 近年歴史学の世界では、清朝末期の外交に関して豊富な研究成果が挙げられている。清末外交の大きな転機は、一八八三年の清仏戦争と本書が取り上げる一八九四年の日清戦争で、この二つの戦争を契機として、清を中心とする東アジアの在来秩序が動揺・解体することになる。 よく知られているように、それまでの東アジアの秩序は、清の「宗主権」によって形成された権威的なもので、朝鮮・琉球・ベトナム・ビルマなどの周辺諸国が清に対して朝貢使節を派遣し、対する清は冊封使を派遣して朝貢国の国王を認知する、という形で結び付けられたものだった。 これが欧米の条約関係を取り込みつつ如何に変容していったのかについては様々な角度から検討がなされている。その中で興味深い指摘の一つが、東アジアの在来秩序が欧米の条約関係に取って代わられたのではなく、むしろ清朝が条約関係を積極的に自らの変化の中に吸収し、朝貢関係と併存させたというものである。 その代表的な例が清と朝鮮との関係である。清は朝鮮を「属国・自主」(朝鮮は清の属国であるが、内政・外交においては自主的な存在である)とすることで、それまでの秩序を内在的に変化させ、日清戦争前には国際法の論理を援用して、清韓宗属関係(宗主―藩属関係)の再編をおこなっていたのである。 本書はこうした事情を踏まえ、朝鮮半島を巡る日清両国の争いに端を発する日清戦争が、一九世紀末東アジアの一大転機であったことに着目する。そして従来の日清戦争研究の主たる問題関心が、戦争の原因・動因を追究する点にあり、この戦争が東アジアの国際関係を一変させた過程を充分に論じてこなかったとし、以下の二つのポイントに注目し、論を進めている。 一つ目は、「冊封体制の崩壊」と称される、清を中心とする在来秩序の動揺・解体である。清韓宗属関係は、日清戦争の発端で消滅し、また戦後締結された下関条約が朝鮮の独立自主を明記したことを考えれば、日清戦争当時の日本は、朝鮮をめぐる国際環境の変化に関係していたのである。 二つ目は、不平等条約体制の動揺と称される現象である。不平等条約体制とは、イギリスの主導のもとに欧米列強が協調して貿易利権を享受するシステムのことである。日清戦争後の三国干渉を契機にこれが崩れ、列強の経済利害が自由貿易から資本輸出へと転換し、列強間の利権獲得競争(中国分割)が始まるのである。 この二つの角度から再検討した著者は、日清戦争における日本外交が、戦争の発端で朝鮮をめぐる国際環境に変化を生じさせるとともに、戦争の終局では投資問題を導入することによって、清をめぐる不平等条約関係に動揺をもたらしたことを明らかにした。そして日本外交がこの二つの現象を同時並行的に進行させたことにより、清を中心とした国際関係の構成要素に変化をもたらし、これが世界の他の地域同様に、東アジアが帝国主義の焦点となる契機となったとする。 とりわけ清韓関係の再生においては、下関条約よりもむしろ一八九七年の大韓帝国の成立の方が決定的な影響力を持っており、また日本が加わった清をめぐる不平等条約が、新たな投資活動を可能にしたため、貿易利益を享受するために協調していた列強各国は、競合を基調とした関係へと移行したと指摘している。 著者は、東アジア域内だけでなく、東アジアと欧米の相互関係の転換を生じさせたという意味においては、アヘン戦争やペリー来航後の自由貿易原理との接触よりも、日清戦争に伴う「転換」の方がより重要であるとも言及する。これには視点の置きどころにより異論もあろうが、刺戟的な指摘である。 本書は日本外交史を掲げ、著者もそのことに意識的である。しかしその問題関心は一国史にとどまらず、近年の東アジア史、さらに世界史の研究成果に導かれたものである。言わば世界史的課題を、日本外交史の材料から論じたものとして、本書は優れた成果と言えよう。(せき・ともひで=日本学術振興会特別研究員・明治大学兼任講師・中国近現代史専攻)★こけつ・さとこ=日本学術振興会特別研究員・博士(人文科学)。お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。一九八一年生。