――あらゆるショットに隠されたエピソードの積み重ね――高鳥都 / ライター週刊読書人2020年5月29日号(3341号)映画「東京オリンピック」 1964著 者:崑プロ出版社:復刊ドットコムISBN13:978-4-8354-5717-8新型コロナウイルスの影響で東京二〇二〇オリンピックの延期が発表された三月二四日、その直前に刊行された本書は一九六四年の東京オリンピックの公式記録映画をめぐるメイキング本であり、市川崑総監督のもと五〇〇人以上のスタッフが参加した〝世紀の大撮影〟を追いかける。 「芸術か?記録か?」――さながら炎上の物議を醸しながら大ヒットを記録した国民的映画、その制作過程は前例がないだけに波乱曲折であり、大会開催前、すなわち撮影前の四年におよぶ「準備期間」に多くが割かれている。 まず監督に選ばれたのは黒澤明、日本映画を代表する巨匠によって準備が進められるが、黒澤の想定するスケールと予算の問題などから降板してしまう。本番まで三〇〇日を切ろうとする状況で後任を探さなければならない事態が発生――と、ここまで、わずか二ページだが何よりドキュメントを盛りあげるのが、新聞や雑誌、書籍からあまねく集めた当事者の証言だ。とくにリアルタイム性を重視しながら、このさき待ち受ける危機また危機がリレーのように紡がれる。 本書の企画・編集は復刊ドットコムの森遊机。市川崑好きが高じて『細雪』(八三年)に助監督として加わったのち長年にわたるインタビューを『市川崑の映画たち』という大著にまとめ、さらには完本を発表。和田誠との共著『光と嘘、真実と影 市川崑監督作品を語る』でも、たおやかに楽しげに再評価の光を当ててきた。 テキストの多くを担当した吉田伊知郎は、モルモット吉田名義の個人ブログ「映画をめぐる怠惰な日常」をきっかけに『映画秘宝』の市川崑追悼特集に参加、以後『市川崑大全』『金田一耕助映像読本』ほか作品の新旧を問わず健筆をふるい、単著『映画評論・入門!』では河野一郎(オリンピック担当大臣)の発言から巻き起こった本作の「芸術か? 記録か?」論争――その仲裁に女優の高峰秀子が深く関わっていたことを持ち前の調査と再構築によってあらわにした。 さても当代きっての崑マニアふたり、六〇年生まれの森、七八年生まれの吉田が二時間五〇分の大作を解き明かす。謎と困難にあふれた〝感動の映像詩〟の裏側、いくらでも美談に仕立てることができる事象をクールに見すえた筆致も市川崑の本にふさわしい。ときに食い違う証言の処理もあざやか。 あの手この手の劇映画を作ってきた市川崑にとって初のドキュメンタリー、まず特徴的なのは望遠レンズの多用である。本書の表紙にもバズーカのようなレンズの群れに囲まれた監督の写真が使われている。 この望遠レンズ、遠くの被写体を大きく捉え、縦の距離感を圧縮させた〝密〟な画面を作り上げるもの。「東京オリンピック」とタイトルが出るシーンからして、ぎっちぎちに人や車が詰め込まれており、発展する大都市をシンボリックに抽出した。選手たちの動きや表情も望遠によって力強く切り取られる。 市川組初参加――キャメラマンの多くは記録映画各社のスタッフであり、お互いの戸惑いからの歩み寄り、臨場感あふれるテクニカルな舞台裏は、『映画撮影』『映画テレビ技術』などの専門誌に残された記録と誇りを掘り起こす。 大写しの太陽をめぐる試行錯誤、閉会式のハプニングから思わぬ手段で昭和天皇のほほえみを捉えたキャメラマンの判断――あらゆるショットに隠されたエピソードの積み重ねは、まるで各種競技を見るかのよう。観衆の顔また顔が映されるのも映画の特色だが、そこには専用の〝雑感班〟が編成されていた。 各ジャンルの文化人をスタッフに加えた新機軸、再現撮影、編集や音響という仕上げ作業、完成後の賛否ほか映画同様に要素は多く、文章と呼応する大量の図版も見どころ。『市川崑の映画たち』を手がけた椚田透のレイアウトが映える。 公開五五周年の執念を読み終え、やはり気になるのは次なる東京オリンピックの記録映画。すでに延期前からさまざまな問題が起きており、たとえ中止になっても、そこから生まれた作品をスクリーンで見つめる未来に期待したい。(吉田伊知郎・森遊机執筆)(たかとり・みやこ=ライター) ★市川崑(いちかわ・こん=一九一五~二〇〇八)映画監督。娯楽映画からドキュメンタリー、テレビ時代劇まで幅広く手がけた。映画『東京オリンピック』『ビルマの竪琴』『炎上』『おとうと』『鍵』『股旅』など。