――具体的な文脈に照らしてポピュリズムが台頭した背景を分析――齋藤純一 / 早稲田大学教授・政治理論週刊読書人2020年5月29日号(3341号)ポピュリズムという挑戦 岐路に立つ現代デモクラシー著 者:水島治郎出版社:岩波書店ISBN13:978-4-00-061393-4本書に編まれた論考が共有する関心はいくつかの意味での「中抜き」の問題である。各論考は、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、オーストリア、スイス、アメリカそして日本を対象とし、各国の具体的な文脈に照らしてポピュリズムが台頭した背景を分析する。比較政治学研究のプロによる分析はさすがに手堅いだけではなく、今後の政治を考えるための鋭い示唆を含む。 編者の水島は、ポピュリズムが台頭した背景には政治空間における「中抜き」があることを指摘する。「中抜き」とは、各種中間団体の力が衰え、「無組織層」が有権者の中核を占めるようになる事態を指す。人々が何らかの団体に所属し、その団体を通じて政治に関わる社会は確実に終わりつつあるという事態がこのキャッチーにも響く言葉によって要約される。 「中抜き」の選挙では、中間団体の一つである政党というよりも党首やリーダーに有権者の関心が集中し、デモクラシーは自ずと「大統領制化」する(古賀論文)。急速に発達し、普及したネット・メディアは、主流派メディアという「中」を抜いて、有権者への直接のアピールに活用される。それに対して批判的な主流派メディアとネット・メディアとの間には、実は「共犯関係」ないし「共依存関係」が成り立っており、結果として、前者は後者で流通する語彙や問いの立て方の流布に手を貸し、政治文化をじわじわと変えている(水島論文・野田論文)。 これとは違った意味での「中抜き」、つまりこれまで政権を担ってきた中道保守と中道左派がそろって退潮する傾向も本書が重視する問題である。中道という「中」が抜けると政党政治はどう変わるか。リベラルと反リベラルとの距離が拡がり、両者の間に架橋しがたいギャップが生じるのか(野田論文)。主流の左派と右派がそろって後退すると中道部分には大きな空白が生まれ、マクロン仏大統領のようにその部分を一挙に手にいれようとする動きが生じるのか(土倉・中山論文)。オーストリアのように既成政党の側にポピュリストに接近する傾向が強くなるのか(古賀論文)、さらにはイタリアのようにラディカルな右と左が一時的にせよ手を握るようなケースさえ生じるのか(伊藤論文)。いずれにしても、政権交代が可能な安定した二大政党制は有権者の無組織化が昂進するとともに存立の基盤を失うという分析には説得力がある。 国民投票(レファレンダムないしプレビシット)も議会という「中」をバイパスする制度である。この制度が用いられると、近年の英国に典型的に見られるように、議会が代表し、集約する民意と直接表わされる民意との間に競合が生じる(今井論文)。どちらがより正統なのか、という容易には答えがでない問題である。ポピュリストには直接の民意を拠り所として議会を抑え込もうとする傾向が見られるが(西山論文)、スイスの経験は、国民投票を慎重な審議や熟議が行われる場とセットにするならば意外に健全に機能しうることを示唆する(田口論文)。 中間層(中道市民層)が薄くなり、階層間/地域間の社会的分断が顕在化することも「中抜き」の一つとして描くことができるだろう(中山・古賀論文)。とはいえ、ドイツのAfDがそうであるように、ポピュリスト政党は一部の階層/地域を代表するとは限らず、さまざまな階層からの支持を動員しようとする一つの「結集運動」としての特徴をもっている(野田論文)。移民/難民問題が争点化していない日本では、橋下、小池ら保守系首長がリードするポピュリズムには新自由主義的な色合いが濃く、大都市圏を越えた広がりを見せていないこと(中北論文)、オランダではポピュリスト政党は実は地方政治には根を下ろしていないこと(作田論文)が指摘される。 容易には収束しそうにないコロナ・パンデミックは、この先ポピュリズムないし権威主義の政治にどのような影響を及ぼすだろうか。防疫を権威主義体制の強化や排他的な国民統合に利用しようとする動向もすでに見られるが、今後長引くだろう深刻な経済危機は、頻繁な支持の撤回、さらには体制の崩壊すら招くかもしれない。いずれにしても、「中抜き」は政治の振幅をさらに大きくしていくに違いなく、その事実を多面から明るみにだしたところに本書の意義がある。(さいとう・じゅんいち=早稲田大学教授・政治理論) ★みずしま・じろう=千葉大学教授・ヨーロッパ政治史・比較政治。著書に『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(第38回石橋湛山賞)など。編著に『保守の比較政治学 欧州・日本の保守政党とポピュリズム』など。一九六七年生。