――分断の打破に不可欠なレイシズム・ポリシー批判――岡和田晃 / 文芸評論家・現代詩作家・東海大学講師週刊読書人2021年9月3日号アンチレイシストであるためには著 者:イブラム・X・ケンディ出版社:辰巳出版ISBN13:978-4-7778-2773-2 本書は書物の形態をとったプラカードである。「ぼくたちには、レイシストとして人種的階層を維持するのか、アンチレイシストとして人種の公平性をめざそうとするのか、このどちらかの立場しかない」。けれども、アンチレイシストであるためには、行動する(あるいは、しない)ことでレイシズムに加担するのではなく、現在進行系で積極的に学び、絶えず認識をアップデートさせていかなければならない。スローガンに終わらず、至るところに待ち構えている落とし穴にも嵌まらずに済むよう、学習に必要な基本的な考え方を明快に解きほぐしてくれているのが、本書の大きな特徴である。「人種(race)」とは、自然科学的には虚構にすぎない。にもかかわらず人を差異化し、殺戮してしまうだけの力を持っていることが、すでに歴史的には証明されている。そして、安全地帯としての、無前提な「中立」は存在しない。差別される側の「有色人種」だからレイシズムから逃れられるとは限らず、マイノリティの内部にも階層化がもたらされている。著者のケンディ自身、かつては世間的な評価を得るためステレオタイプな黒人批判を行う黒人の若者にほかならず……そのためにはキング牧師を引用することを厭わないほどの〝こじらせた〟レイシストだったことが反省されている。 慢心せず、自分が常にレイシストからアンチレイシストへの移行期にある、とするのが大事というのだ。そしてレイシズム批判は狭義の「人種」に限らず、民族(エスニシティ)、階級(貧困)、ジェンダー/セクシュアリティ等に対する差別へ向き合うための交錯点として、本書では位置づけられている。 重要な出発点に、W・E・B・デュボイスが『黒人のたましい』(一九〇三)で示した「二重意識」を、アンチレイシズムと(マジョリティとしての白人への)同化主義の間における葛藤だと捉える視点がある。デュボイス研究でも知られるコーネル・ウェストは、この「二重意識」を、エマソンの神義論に代表される――状況に順応し、意志の力で限界を克服しようとする――アメリカの反知性主義を、ひっくり返そうとする試みだと理解していた(『哲学を回避するアメリカ知識人』)。ウェストによればデュボイスは、西洋中心主義的な思弁の伝統へ、自らの存在としての「異質」性をもって亀裂を入れようとしたことになるが、そこから本書へ立ち返れば、ともすればハイコンテクスト化することで当事者性を失った既存のレイシズム研究へ一石を投じる姿勢が看取できる。 本書では、社会の「制度的レイシズム」や「構造的レイシズム」を、人々を管理・統制する有形無形の「ポリシー」だとシンプルに置き換えたうえで、このポリシーとパワー(権力)の関係から歴史と現在を見返そうとしているのだ。そのうえで、プリンストン大学の研究者キアンガ=ヤマアタ・テイラーを援用しつつ示される「レイシズムと資本主義のあいだには切っても切れない関係がある」という認識は、それこそBlack Lives Matter(黒人の生命は大事だ)以降、とりわけ顕著となった「分断」を打破するためには不可欠だろう。著者は評者とほぼ同い年だが、常態化した冷笑主義に強い危機感を禁じ得ない。そう、これは「日本」の状況でもあるのだ。安寧から一歩踏み出し、アンチレイシストたろう。(児島修訳)(おかわだ・あきら=文芸評論家・現代詩作家・東海大学講師)★イブラム・X・ケンディ=アメリカの歴史学者・作家。ボストン大学〝反人種主義研究・政策センター〟の創設者であり所長をつとめる。著書に『はじめから烙印を押されて Stamped from the Beginning』など。