書評キャンパス―大学生がススメる本―榎本圭扇 / 二松學舍大学文学部中国文学科3年週刊読書人2021年1月22日号主よ、永遠の休息を著 者:誉田哲也出版社:中央公論新社ISBN13:978-4-12-206233-7 正直、この作品の読後感は気持ちのいいものだとは言いがたい。他のミステリ作品よりずっと生々しく、普段は無意識に視界に入れないようにしていた現実の惨い事件の一連を見せられたかのように感じた。 また、この作者が『武士道シックスティーン』の作者でもあるという事実は、私にとっては大きな衝撃であった。あれほど爽快な作品とこの喉元に汚泥のへばりつくような悍ましさのある作品と、両方を書ける作者の柔軟な思考、感性には感嘆するものがあった。 物語の軸である「十四年前の事件」は加害者・稲垣満の機能不全とも捉えられる家庭環境にまず目が向けられる。現実にも耳にするような、劣悪な青年期と歪んだ性的嗜好、徐々にエスカレートしていく彼の行動と、それを止められないどころか暴力によって抵抗する気力を失って言いなりになってしまう家族。また被害者の少女の父親の思いや、親しい人たちの事件への反応、それに因って引き起こされた心理的苦痛の一つ一つが、体験していないにも関わらず理解できてしまうリアリティも、尾を引く読後感の理由の一つではないだろうか。 それらが複雑に絡み縺れた結果、甦ってしまった悪夢の続きは、あまりにも悲壮で残酷だ。十四年前の事件を切掛に、本やビデオなどの物が詰まった棚やテレビの液晶画面など、他人には理解されにくい苦手なものが多い芳賀桐江は、それでもなんとか自立した生活をし、父に心配をかけまいと懸命に生きていた。新聞記者である鶴田と、桐江父子とのやりとりは、事件を無事に解決し、円満に終わる結末すら夢見させた。しかし、十四年前の事件が被害者側にもたらした心理的苦痛と、稲垣の被害者への異常なまでの執着が混ざり合った結末は、あまりにも心が苦しいものだった。 それでもこの作品を取り上げようと思ったのは、事件へ至る心理のあまりのリアリティと、それに対する読者の不快感や嫌悪感が、現実の過去の事件を想起させ、風化させないことに繫がるのではないか、という「本の力」を感じたからだ。実際に私は読んでいる最中、私の育った地域の近くで起こり、未解決のまま時効を迎えた事件の、朧気な輪郭を隣に感じながらページを捲っていた。その時感じていたのは、この話がフィクションであることへの安堵と、同時に現実でも似通った事件は起こっていて、犯人不明のまま時効を迎えていることへの恐怖だった。 多くのミステリ作品では、被害者が周りの人間に救われ、一筋の光に縋るように明るい未来を夢見て、最終的には前を向いて生きていくという結末を迎えるが、果たして現実で、事件に巻き込まれた人間がそう簡単に未来を信じられるのだろうか? 起こった事件を消せはしないし、トラウマは繰り返し人生を蝕み、眠っている時や楽しく過ごしている時ですら、ふとした切掛によって頭の中全てを支配してしまう。 死ぬまで消えることのない深すぎる傷に、まだ二十代前半の桐江が咄嗟に下してしまった決断は確かに悲しく救いがないように思える。しかし、もし私がこんな悲惨な事件の当事者だったとしたら、桐江と同じ決断を下さないと言い切ることは出来ないし、桐江の行動を否定することなどとても出来ない。理不尽に人生を蹂躙された人間に「生きていたらいいことがある、何事も起こさず平凡に暮らせ」などというのは、あまりにも残酷な、周りの人間のエゴでしかないのではないだろうか。 私はこういった題材を嫌悪し、恐ろしいとはっきり口にしてくれるような人にこそ、この作品を知って欲しいとそう思う。★えのもと・たまみ=二松學舍大学文学部中国文学科3年。どうせ何事もいつか終わりが来るのならそれまでは精一杯楽しくおかしく生きたいと思います。趣味は睡眠、美味しい物を食べること。