――小都市に存在する精神医療の歴史的実態を探る――松澤和正 / 帝京大学教授・精神看護学週刊読書人2021年3月12日号「治療の場所」の歴史 ベルギーの街ゲールと精神医療著 者:橋本明出版社:六花出版ISBN13:978-4-86617-111-1 橋本明氏は、精神医療史の専門家であり、本作の前にも、『精神病者と私宅監置』(六花出版)、『治療の場所と精神医療史』(日本評論社)を刊行している。これらの著作にも、すでに共有されているのが、「治療の場所」という、著者の概念である。近現代において、精神医療における「治療の場所」は、急速に「施設化(病院への入院)」へと移行し、さらにはその有害な部分への批判という形で「地域化(地域で支える)」へと変化してきている。 しかし、歴史をたどれば、実は、「治療の場所」とは、本来、歴史・文化的な結合の場として、地域のなかに散在していたものだった。ベルギーの街ゲールは、中世の聖ディンプナの伝説により、古くから精神病者を癒す巡礼地となり、そうした巡礼者を宿泊者として受け入れるなかで、やがて精神病者の(現地家族による)家庭看護が行われる「治療の場所」となった。そのゲールが、時代の流れのなかで、どのようにして現在に至っているかを、本書は、非常にユニークで豊かな手法を駆使しながら、歴史的現実として鮮やかに再現している。 もともと、ゲールという小都市に存在する精神医療の歴史的実態を探ることは至難の業であった。著者は、その困難をなんとか克服するために、現地調査等の地道な努力を積みかさねながら、ついには、ゲールの「見学者名簿」を発見するに至る。それは、一八九二年から一九三六年までの約九〇〇人分の「見学者名簿」であり、欧米諸国や、少数だが日本やインドなどから見学者名等が記載されたものであった。 ここから、それらの見学者を、著者がひとりひとり訪ね歩き、その背景史を描きだそうとする長い旅が、本格的に開始される。それは、結果的に、見学者各国の近現代精神医療史とゲールとのつながりを探索し確認する作業とも重なっていく。そのなかで、ゲールの家庭看護は、時に、先進的で現実的なケアと称賛されたり、拘束なども存在する後進的なケアとして批判されたり、急増する精神病者への安上がりなケアとして模倣されたり、様々な反応や社会現象を巻き起こしている。その変遷の姿を、著者は、歴史的想像力と、グローバルな現地調査と、それに伴う豊かな人脈を築きつつ、粘り強く且つ丹念に探求を続けている。 そして、現在、ゲールの家庭看護は、コミュニティケアを中心とするケアセンターのサポートを受けながら、継続しているものの、減少の傾向をたどっている(それでも二〇一四年現在の家庭看護の患者数二八〇人)という。とはいえ、ゲールは、いまなお「家庭看護の歴史と伝統を活路にして街の活性化を図っている」(二一八頁)のであり、家庭看護というユニークなあり方は、ゲール以外でも今なお継続していることを著者は強調している。 そのうえで、現在、精神医療の「地域化」が当然のように議論され進むなか、精神医療の後進性や先進性なるものの意味を再度批判的に問うためにも、ゲールの街の人々が担ってきた、「家庭看護の歴史や記憶を次世代につなぐ力」を、あるいは「正面から精神医療に立ち向かっていたはずの「主体としてのゲール」(二五二頁)」を、再度共有し議論することが必須であるだろう。その成果の一つとしての「主体としてのゲール」を、橋本氏は、二〇年にも亘る労苦の末に、見事に本書に結実させ再現させることに成功している。(まつざわ・かずまさ=帝京大学教授・精神看護学)★はしもと・あきら=愛知県立大学教授・精神医療史。東京大学大学院医学系研究科博士課程中退。博士(医学・東京大学)。一九六一年生。