――その先の未知、当事者たちの生態系に入り込む――斎藤真理子 / 翻訳家週刊読書人2020年10月16日号食べることと出すこと著 者:頭木弘樹出版社:医学書院ISBN13:978-4-260-04288-8『食べることと出すこと』はちょっとない本で、ありがたい本だ。 二ページに一つ、ひょっとしたら一ページに一つ、「そうだったのか!」と思うような記述がある。例えば、こんな話。 潰瘍性大腸炎にかかった著者は、十三年間、豆腐と半熟卵とササミを食べつづけた。そのときに辛かったのは、「嚙み心地に飽きる」ことだったという。味に嫌気がさすことももちろんあったが、それほど激しくはなかった(経口栄養剤によって栄養バランスがある程度とれていたからかもしれないと、著者が書いている)。だが、ササミの嚙み心地に飽きてしまったときは、「こういう嚙み心地とわかっていて、やっぱりその嚙み心地だったときの、なんとも言えない気持ちは、ああっと嘆息が出るほどだった」と。 こういうことは経験者に書いておいてもらわない限り、絶対にわからない。だからありがたい。 そう思わされる記述が山のようにあるのだが、エピソードそれぞれの色や匂いや温度が違い、あらゆる方角から来る。その多様さはまるで、一つの生態系を見ているようでもある。 中でも白眉は、「出すこと」、特に、潰瘍性大腸炎の症状である下痢について書かれた文章たちだ。 本書のタイトル「食べること」と「出すこと」は、どちらが欠けても生命が維持できない。なのに「出すこと」は恥となり、笑いの対象になる。そこまではみんな知っている。だが本書には、その先の未知の景色がつぶさに書いてある。「出すこと」と「漏らすこと」はまったく異なる出来事だ、と書いてある。「出すこと」の恥ずかしさは、「漏らすこと」によって頂点に達する、と書いてある。 そして漏らしてしまった経験、そのとき思ったことが淡々と書いてある。排泄と恥、恥と尊厳、恥と服従。視点がどんどん普遍的なところに近づいていき、潰瘍性大腸炎を患ったことのない読者もその生態系にしっかり入っている。ありがたい。 文体がとても個性的だ。びっくりするようなことがいっぱい書かれているが、驚かそうとしている感じはゼロだ。ものすごい説得力だが、とても静かだ。不要な言葉がなく揺るぎないが、断言している感じが全くしない。 自分をじっくり観察し、一言、一言、大切に書いてくれている、そのクライマックスに不思議なおかしみがある。「病気をしている間は、ずーっと病気である。(中略)どんなブラック企業でも、ここまでひどくはないだろう」とか。 この個性は、習字でいえば「はね」や「払い」ではなく、「止め」の個性だと思った。筆を滑らせていって止め、よくよく考えてから離す感じ。読み終わるころには、今まで知らなかった晴れやかさ(どことなく憮然とした……)や、見通しの良さを味わうことになる。 けれども本書は、病気が治って終わりという本ではない。潰瘍性大腸炎は「たき火のような病気」だという。消えたかに見えて、また燃え上がる。著者の病気は治っておらず、治らないから難病なのだが、「治らないんです」と説明しているのに、「でも元気なんですよね」などと食い下がる人がいるという。この本は、病んでいない者たちの頑迷さ、業の深さを教えてくれる。このこともありがたい。 結果として、さまざまな当事者たちと生きていくための「構え」、その入り口のようなところに立たせてくれる。二重三重にありがたい。カフカをはじめとする文学作品からの引用も適所で効いている。(さいとう・まりこ=翻訳家)★かしらぎ・ひろき=文学紹介者。著書に『絶望名人カフカの人生論』『絶望書店 夢をあきらめた9人が出会った物語』など。一九六四年生。