――「まち」は死者と未来人のものでもある――和合亮一 / 詩人週刊読書人2021年6月4日号二重のまち/交代地のうた著 者:瀬尾夏美出版社:書肆侃侃房ISBN13:978-4-86385-449-9「僕の暮らしているまちの下には、お父さんとお母さんが育ったまちがある」。帯に記されたフレーズを眺めた瞬間に、震災を伝えていく若い世代の書き手の登場だと直感した。そうか、こういう眼差しがあるのだと気持ちの底が貫かれた心地がした。私もまた著者と同じ思いで震災から十年の日々をずっと書き続けてきたが、振り返ると目の前を見つめるだけで精一杯だったかもしれない。想像の可能性を教えられた気がした。 初めの章の「二重のまち」は美しい詩を思わせる分かち書きの文と挿絵とで綴られる。場面は十年後の二〇三一年。震災からの歳月が経って、さらに十年先の時間がイメージされている。津波で破壊されてしまった海沿いの町。時間とともに形の復興は進んでいく。その地面の下にかつての町が広がっていることを幻視する言葉と印象的な絵。それらが織りなす見開きの頁の一つ一つから、二重映しになった意味が投影されてくるかのようだ。 次章の「交代地のうた」では震災にまつわる短い物語が並んでいる。被災地で著者が試みたアート活動やワークショップなど、様々な場面で耳を傾けてきた被災者たちの生の声から生まれたストーリーがある。そのなかに飾りのない、簡潔で印象深いフレーズがいくつも登場してきて心に迫る。「実際のところ被災から間もなく、まだ消防団が行方不明者の捜索を行なっていた時期から、頑張ろう、立ち上がろうなんて言葉が湧いてきて」。 フィクションやノンフィクションの枠組みを超えた現実的な息遣いに一つひとつが満ちている。「生き残った者の使命としてあたらしいまちをつくる、なんて語る知人の姿を見るたび、わたしは苦しくなるほどの違和感を持った」。なまなかでないメッセージが込められている。「あなたたちがつくろうとするまちは、あなたたちだけのものになっていないか。ここで死んだ人たちや、何よりここで将来を生きる子どもたちのことを考えているか」。様々な被災地で分かち合うことのできる、深いまなざしと問いかけとがある。 これらの言に触れて、土地に土が盛られて、その上に新しい街づくりが進められていくことの本質をあらためて思った。記憶や時間の輪郭をも埋めつくすしかない……。震災を経験してから、津波にさらわれてしまった死者の声が聞こえてくるかのような印象を、私も心のどこかで感じてきた。無念にも一瞬にしてこの世を去っていった多数の方々と共に生きている感覚を。「まち」は死者と未来人のものでもあると深く頷いた。「二重」=「交代」。この語感はさらなる第三章の「歩行録」で語られているキーワードの「第二の喪失」に連鎖している感じがある。「第一」は震災直後の体験を表しているとするならば、「第二」は著者がずっとその眼で追いかけてきた複雑な年月の深さを宿した「喪失」の感覚を述べていると分かった。かつての町と人の懐かしい姿はやはり取り戻せないのだという……、十年の絶望に静かに語りかけられてしまっているかのようである。 ここでは陸前高田をめぐり続けた二〇一八年の八月から二〇二〇年の二月までの日々が書き留められている。リアルな記述の随所に、したたかに生きる人々の強さと明るさが見えてくる。宮澤賢治が「生活そのものが芸術だ」と語っていたが、数々の人との出会いの中に著者はその真実を見つけたのだろう。一冊を読み終えた手に、明日への種子が残された気がした。(わごう・りょういち=詩人)★せお・なつみ=宮城県仙台市在住。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。二〇一一年、東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとの共同制作を開始。著書に『あわいゆくころ陸前高田、震災後を生きる』(鉄犬ヘテロトピア文学賞)。一九八八年生。