――アカデミズムにおける政治学の展開をたどる――山辺春彦 / 東京女子大学講師・政治学週刊読書人2021年5月21日号おのがデモンに聞け 小野塚・吉野・南原・丸山・京極の政治学著 者:都築勉出版社:吉田書店ISBN13:978-4-905497-91-2 本書で論じられている問題を一言でいえば、二〇世紀日本の大学アカデミズムで政治学がどのような展開をたどったかということである。著者はこの問題を、東京(帝国)大学で教鞭をとった五人の政治学者を中心に追跡する。 第一章では、小野塚喜平次によって政治学が独自の専門的な学問分野として確立されていく様相が描かれる。著者が注意を促しているのは、この過程は単に政治学を他の諸学(国家学や国法学)から独立させるだけでなく、学問と大学を政治から独立させるという志向を伴っていたことである。しかし、独立は没交渉を意味するものではない。小野塚が大志を有していたことは大学同期生の浜口雄幸や幣原喜重郎と同じであったが、彼らと異なって小野塚は政治に直接タッチするのではなく、大学アカデミズムにおける政治の学問的認識という方向で志を実現する道を選んだ。この選択には、小野塚が佐幕側の長岡藩出身であったことも影響していたのではないかと著者は見る。このように現実政治の認識に情熱を傾けた小野塚において、はじめて日本の政治学は独自の認識対象と方法をもつものとして確立された。社会に基礎を置く私的なもの(政党や輿論など)が国家機構における公的な活動を担い、またはそれに影響を与えるという形で、社会と国家の接合面で行われる政治という営みを正面から捉えようとする学問が誕生したのである。 実践活動に禁欲的だった小野塚と対照的に、実践に力点を置く活動を展開したのが第二章で扱われる吉野作造である。吉野の思想や活動を対象とする研究は数多いが、本書はそれを小野塚にはじまる政治学の展開の中で捉える。両者は二〇世紀日本における政治学者の活動スタイルの両極的なあり方を示すものとされるが、吉野も小野塚と同じく政治を原理的に捉える思考を基礎としていたという視点が貫かれている。そして南原繁を対象とする第三章でもこの枠組みが前提され、大学アカデミズムで政治学史研究に沈潜して自前の政治学的認識を形成した南原が、やがてそれをもとに広く社会に働きかけていく展開が辿られていく。 小野塚にはじまる政治学の流れにおいて新たなパラダイムを形成したと位置づけられるのが、第四章で取り上げられる丸山眞男である。それは、日本人の精神構造に遡ることを通じて日本の政治を分析するというものであり、このことを通じて丸山は、戦後に自由と民主主義を定着させるための効果的な意味付与を行いえたと評価される。つづく第五章では、このパラダイムをふまえて独自の政治学を展開した京極純一の業績が手際よくまとめられている。 本書のタイトルは、「政治学に先生はない」と説いた南原繁が、「先生なしでどうすればよいのか」と問われたときに答えたことばであるという。政治という営みの認識に各人を突き動かすのはその内面に宿るものであり、それが独自性のある、そして現実の政治と嚙み合った政治学が形成される基盤となる。このような役割を果たした要素として、本書では、小野塚であれば藩閥政府との距離の意識、吉野の場合はキリスト教信仰、南原は教育者的資質や官僚時代の経験、丸山と京極においては戦争経験が指摘されている。この点に関する分析は、なお個別に深められる余地が存するであろう。それでもなお、日本政治の現実を認識するために、西洋からの直輸入ではない自前の政治学が大学アカデミズムを基盤に形成され、そしてこの「自分の頭で考える」という努力が現実の政治や社会に対する影響力の源泉にもなったという本書のメッセージは、説得力をもって迫ってくる。(やまべ・はるひこ=東京女子大学講師・政治学)★つづき・つとむ=信州大学名誉教授・政治学。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。著書に『戦後日本の知識人 丸山眞雄とその時代』など。一九五二年生。