――文学化された医学史は現代医学の在り様を考えさせる――西貝怜 / 白百合女子大学言語・文学研究センター研究員・科学文化論週刊読書人2021年2月26日号0番目の患者 逆説の医学史著 者:リュック・ペリノ出版社:柏書房ISBN13:978-4-7601-5306-0 近代医学の誕生は、医師が患者と対話し、診察することではじまった。そして患者は、医学の様々な問題に巻き込まれ、犠牲にもなってきた。にもかかわらず、患者は医学史では端役である。そこで患者を正当に評価したい。以上が「はじめに」で述べられる、本書の背景と目的である。 そして本論は、全一九章からなる様々な症例集になっている。そのすべての章で重視されているのは、疾患そのものでなく、人間としての患者の在り様である。その各論を経て「おわりに」でペリノは、医学史上の患者の在り方から、現代および未来の患者と医学の関係について考察する。 このような概要の本書は、臨床医で医学史家、かつ小説家でもあるという多才なペリノが著したゆえに、科学・医学読み物としてだけではなく思想書としての魅力もある。 たとえば第一九章では、極めて小さい脳を持つサミュエルの人物像と医学のかかわりについて語られている。具体的に本文では、サミュエルについて「彼は普段から不平を言う人物ではない」と書かれている。また、診断した医師らが、脳に大きな機能障害はないにもかかわらず、その脳の小ささを画像で確認したとき「全員が仰天した!」とも書かれている。この例のように、すべての章で「できるかぎり事実に忠実」かつ「小説仕立て」な患者の物語が語られている。本書の魅力としてまずは、丁寧な翻訳で患者をめぐる文学を楽しめる点が挙げられる。 また、本書のタイトルにもなった0番目の患者とは、主に感染症において最初にその病に罹った人をいう。ペリノは様々な症例にこの0番目の患者という概念を適用し、一九もの物語を編んだ。それは、ある病に関する診断と治療の最初の症例集ということでもある。診断を下す医師や治療に関わる者たちを区別しながら、最初の症例に立ち向かうこれらの人々の振る舞いや在り様も、現役医師のペリノらしく丁寧に説明される。たとえば、第五章では化学者のパスツールと医師の共同作業について詳細に記述されている。 以上のような各論を経て「おわりに」でペリノは、医師と患者の関係をカップルと呼び、そのカップルは今後、未知・未開拓の領域においてのみ表れると述べる。そして、すでに医学の主役は政府関係者や保険会社、製薬会社などの「商人」に移っているとも批判する。「商業的な紛争や政治的虚飾」は治療にこそ当てはまるので、今こそ治療と診断を分けることで「生物医学研究は進歩」しうると、ペリノは批判から提言に繫げる。 人文学的な教養は、科学と医学にこそ重要だとたびたび言われてきた。しかしそれは、漠然とした理念として語られることが多かったのではなかろうか。人間的な対話の中での診断および治療の価値を抽出した上で行われるペリノの批判は、具体的である。最初の症例集によって、今後の未知・未開拓の領域の価値を照射させた手法も見事だ。多才なペリノだから紡げたこれらの医学思想こそが、本書のもう一つの魅力である。 邦訳本である本書には「日本語版によせて」も追加され、コロナ禍における0番目の患者を犯人のように探すことを、「馬鹿げている」と批判し、このパンデミックは誰の責任でもないと述べられている。 コロナ禍は未知の領域であり、誰もが患者になりうる。以上で確認したように、未知の領域における医学では今でも患者が主人公になることができ、これを強く意識することによって医学の在り様を考えることも出来ることを本書は示している。すなわち、本書を読むことにより、コロナ禍で未感染者が他人事のように他者に責任を押し付けるのではなく、一人一人の読者が当事者としてパンデミックを考えることが出来るのである。 ペリノは、広い意味での医学史研究の成果を多くの人が享受することも医学だと主張する。たしかに医学史的観点から書かれた本書は、今の医学を考えるのに適していることから、このペリノの主張を私も評価したい。(広野和美・金丸啓子訳)(にしがい・さとし=白百合女子大学言語・文学研究センター研究員・科学文化論)★リュック・ペリノ=フランスの医師・作家・エッセイスト・熱帯医学・疫学。一九四七年生。