神田法子 / 書評家・ライター週刊読書人2021年5月14日号血も涙もある著 者:山田詠美出版社:新潮社ISBN13:978-4-10-366817-6 スタイリッシュな恋愛や結婚とは存在するのだろうか。映画やドラマにあるようなトレンド感あふれる美男美女による何の葛藤も軋轢もない恋愛なんて嘘くさい。人が誰かを好きになるということは何らかの執着や嫉妬、あるいは自己評価の投影が生じてきて、そこにどうしようもない人間臭い可笑しみが生まれてくるものだ。さまざまな恋愛の形を描いてきた山田詠美の筆は本作で皮肉とユーモアを交えつつ相も変わらず奮っている。 いわゆる不倫、三角関係にある男女の視点が順繰りに登場する形で進む本作には、一見ありがちな泥臭さは感じられない。まず、浮気を仕掛けた桃子はあっけらかんと人の夫を寝盗ることが趣味と言い切りつつ妻の喜久江を仕事の上では信奉しているわけだし、喜久江はこれまで何度も夫の浮気を見て見ぬふりをしてきて、かつ桃子のことは仕事だけでなく女性としての魅力も(太郎眼鏡という視点まで設けて)認めているわけだし、夫の太郎は妻への愛情がなくなって浮気をしたわけではなく別れるつもりもないのである。この絶妙なバランスで保たれている三角形を一般論なモラルを押し付けて崩そうとするのはナンセンスだろう。大人ゆえに自分のずるさや弱さを認識しつつ歪んだ三角形はじわじわ続いていく。 最初の三章の末尾で「血も涙もない」という慣用句がそれぞれの視点でアレンジされているのに注目したい。桃子は(タイトルにもあるように)「ない」を「ある」に置き換えている。しかも体に通っている血ではなく生理中の性交でシーツを汚す排出物としての血と、悲しくて流すのではなくカレーを作る時に玉ねぎをむいて出る涙をたとえに出しているようにあえてずらして茶化している。喜久江は一番本来の意味に近い使い方でやや感情的に「血も涙もない?」と相手を責めるような形で疑問を呈している。太郎はちょっと腰がひけた感じで「なくもない」と二重否定で自分に言い訳するような形で使っている。これらは常識的なる価値観へのスタンスの違いとも読めるだろう。桃子は常識を茶化しても許されてきたのだろうし、喜久江は料理という保守的な女性性の武器で社会的地位を築いてきた自分に価値を見出しているのだろうし、太郎は常識的には許されない自分を認識しつつも責任から逃れようとしている。同様の価値基準の差は料理に対する評価の違いにも表れる。生きるために必要な栄養を取り入れるだけでなく、母性の象徴として、あるいは女性が社会進出できる武器として有効な一方、凝り過ぎると男を束縛・支配し、引かせてしまう料理は本作で重要な位置を占める。逆のベクトルのスパイス的に登場する山田ナントカという作家の存在も見逃せない。山田ナントカファンお馴染みのヒロインと同名の桃子はおそらく素でそこに描かれる価値観を生きているのだろうし、喜久江は好んで読みつつもある種の価値観に反発し、太郎は恥ずかしいと言いつつも恋愛観に共鳴している。 指揮棒で三拍子をとっていくように、時系列を緩やかに受け継ぎながら進んでいく物語の中で、微妙なずれや歪みが生じていき、最終的には三角形が崩れてしまう。一見意外にも思える展開は、元々あるべきでなかった関係が解消するというある意味自然な帰結であり、三者が自分の世界で築いてきたバディ的な相談者(支持者)によって語られる結末は、それでも誰かを求めてしまう人間臭い可笑しみがじわじわしみるように余韻を持って響いてくる。(かんだ・のりこ=書評家・ライター)★やまだ・えいみ=作家。著書に『ベッドタイムアイズ』『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』『A2Z』『風味絶佳』『つみびと』『ファーストクラッシュ』など。一九五九年生。