――夢と風と鳥を通して、老人が少年に伝えようとしたこと――山本伸 / 東海学園大学教授・カリブ文学週刊読書人2020年10月2日号言葉の守り人著 者:ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ出版社:国書刊行会ISBN13:978-4-336-06566-7 人類の英知とは何なのだろう? それは継承され得るのだろうか? ブラック・ライブズ・マター問題やギスギスした国際関係、ましてや日本の政治的現状を目の当たりにするたび、考えずにはいられなくなる。 本書はそんな積年の伝統的な知恵の継承の大切さを、マヤというラテン世界の文化を軸に伝えようとする短編集である。うわべだけの短絡的なものの見方を根本的に否定する、いや、あざ笑うかのごとき真正な知恵の大切さを含む物語がいくつも語られる。それは「西洋」世界の近代合理主義に対する痛快な逆襲とさえ言ってもいいだろう。理解できない、価値がない、近代的でないとして一笑に付す現代人がいかに浅はかで無能であるかを控えめに主張しながら。 まずは夢。人は生まれた以上必ず眠らねばならず、眠れば必ず夢を見、夢は人を目覚めさせ、自己の根源を取り戻し、それは生きる力となるという。夢はまた、肉体に閉じ込められることから逃れるための心の営み、自己の内面を成長させる糧である、と。ラテンの人びとは雨乞いならぬ夢乞いをしてまで夢を見ようとする。自己を開放し、生きる力を得るためだ。 次に風、そして鳥。求めるは名前。風に求めるのは、これまで使ってきたのとは違う自分の本当の名前である。西洋の植民地支配の戯れのなかで継承されてきた名前ではない、本当の名前。かのマイケル・ジャクソンの苗字が奴隷解放時の白人農園主のジャック(Jack)にちなんでその息子(son)として悪戯につけられたように、マヤの人びとが今使っている名前は本当の名前ではない。本当の名前が何であるかは風に聞くほかないと老人は少年を勇気づける。しかも、それは誰にでもできるわけではない、だから心してかからねばならない、と。一方、鳥に求めるのは世界の創造主の名前。そして、その鳥は真の自由の言葉を吐く。その言葉を聞き逃さないためにこそ少年は目覚めねばならないと、老人はさらに言葉に力を籠める。そして、こう締めくくるのだ。自由とはお金では買えない心の宝石。 夢と風と鳥を通して、老人が少年に伝えようとしたことはいったいなんなのか。 それは自由を奪われた西欧による侵略と植民地支配の歴史、薄められた文化、そして何よりマヤ人としての尊厳である。マヤ語を嫌いスペイン語を好む現代マヤ社会の価値観ではもはやたどり着けない、先祖が自然とのかかわりのなかで培ってきた哲学に目覚めてはじめて、本来あるべき尊厳を取り戻せると老人は少年の背中を押す。 訳者あとがきには、これらマヤの先住民文化とは「西洋」という鏡に写った像としてしか描けないものであり、「西洋」の読者はその認識的枠組みを通してしか理解できないとある。しかし、評者の私もその父も母も本書のマヤの老人のように正月に凧を揚げるための風を口笛で呼び、鳥のさえずりに天気を知り、夢見が悪いと用心しながら、自然の言葉を聞いて暮らしている。熊野古道周辺だけはない。沖縄もそうだし、おそらく過疎に悩むそちらこちらの山里でもきっとそうだろう。老人が少年に伝えようとした本質は「西洋」のなかにも細々と、しかしながら厳然と存在するのだ。 問題はそれをどう継承するか、ということである。物事の本質を知り自己の世界へと位置づけること、そして既成概念から自己を開放すること、そして、そのためには少年がお手本とした老人のような自然を詠む詩人になる必要があると訳者も締めくくっているように、経済や社会の情勢に惑わされない、あるべき人間本来の姿に立ち返ることの重要性を認識し、温故知新、かつて先祖が培ってくれた文化伝統、知恵、価値観、哲学を継承しつつ、現代化、自己化していかねばならない、ということだろう。 遠くてじつは近いマヤの先住民文化の魅力と威力をじゅうぶんに伝えてくれる貴重な翻訳。背景まで知り尽くしているからにちがいない、その訳文はやさしく、わかりやすく、読者のこころにすっと入ってくる。またひとつ、人類の英知が日本に運ばれたことに感謝したい。(吉田栄人訳)(やまもと・しん=東海学園大学教授・カリブ文学)★ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ=メキシコ合衆国の小説家・詩人・教師。二〇〇二年から〇五年までメキシコ先住民作家協会の会長。二〇一六年南北アメリカ先住民文学賞受賞。著書に『おじいさんの秘密』『金の涙 ここではマヤ語を使うな!』など。一九五二年。