――「共同研究」の終着点と危機的状況を打開する鍵――野上暁 / 編集者・評論家週刊読書人2021年7月23日号「あいだ」の思想 セパレーションからリレーションへ著 者:高橋源一郎+辻信一出版社:大月書店ISBN13:978-4-272-43105-2 新型コロナウィルスの世界的大流行は、現代社会が抱えている様々な矛盾や病根を期せずして炙り出すことにもなった。新自由主義とグローバル化の果てに行き詰った資本主義とともに、気候変動などによる環境問題が深刻化し、政治的にも独裁的な指導者による民主主義の危機を内外で招来し、社会的な問題も累積してきている。そして今や、世界観の大転換が起きつつあると辻はいう。 それは「分離」を超えて、「つながり」へ向かう流れだとし、「あいだ」という非西洋的な概念を屹立させ、人と人とのあいだ、国と国とのあいだ、生と死とのあいだを様々な知見を媒介して自在に行き来しながら、じつに刺激的でエキサイティングな対話を通して、「人類史的な大転換点」を可視化しようと試みるのだ。 この対談は、高橋と辻が「共同研究」と位置づけて続けてきたもので、すでに『弱さの思想』(二〇一四年)、『雑の思想』(二〇一八年)といずれも大月書店から刊行され、本書はその終着点となる。 ここでは、コロナ禍によって人々は分断され、分断は反発や憎しみや不信を呼び、その均衡状態を生み出している現代社会を鮮明に浮かび上がらせる。社会の進歩が経済成長や機械化や合理化によって第一次産業に従事する人々を減らし、管理職や事務職やサービス部門に携わる人の数はこの一世紀で三倍になり、これらは文化人類学者のデヴィッド・グレーバーが言うところの、無意味で「クソどうでもいい仕事」だという。こういう仕事は コロナ禍でリモート・ワークに転換しやすいが、人間と自然、人間と人間をつなぐ「エッセンシャル・ワーク」は、デジタル化、ロボット化、AIなどによっても置き換えが難しく、ここでのつながり、つまり「あいだ」の可能性をこの本は執拗に追求する。 様々な「あいだ」を探る過程で、多様な人物やその著書が次々と登場する。ハンナ・アレント、江藤淳、金子文子、柳田國男、ヴァンダナ・ジヴァ。子どもから大人への「あいだ」における通過儀礼の大切さ。「国際」は「インターナショナル」で、「インター」は「あいだ」を意味するが、インターナショナルに変わって「グローバル」が大手を振るうようになる。それは国と国との「あいだ」を考えるのとは対照的に、国の次元を超えていかに世界中に経済市場を広げるかという「ブルドーザーで世界を均してしまう」という効率化、均質化の考え方だと断ずる。 ゲストの田中優子が江戸文化人は様々な名前を幾つも持つとし、自分の中に「あいだ」をつくるというのも示唆的だ。蜀山人は、幕臣としては大田直次郎だが、四方赤良、大田南畝、寝惚先生、風鈴山人などなど、一〇もの名前を使い分ける。山東京伝も、浮世絵師としては北尾政演を名乗るなど、九つもの名を持つ。自分と自分の「あいだ」に隙間としての遊びがあり、自分の才能を発揮する分野別の顔を使って活躍する。つまり、江戸文化というのは一人の人間が才能を分岐させてネットワークを広げていく中で成立したというのだ。 〝「あいだ」は愛だ〟という高橋は、瀬戸内寂聴の伝記小説のモデル、田村敏子、岡本かの子、伊藤野枝、金子文子、菅野須賀子を取り上げ、寂聴自身もそうであったように、かの子も野枝も須賀子も教師となるべき男性と若い恋人との三角関係の「あいだ」で世間的な愛や束縛や独占から遠いといい、家族にも「あいだ」が必要だという。 石牟礼道子の『からゆきさん』から従軍慰安婦問題に触れ、『帝国の慰安婦』の朴裕河の加害者・被害者という二元論にはまらない「あいだ」に身を置く視点の重要性。そして植民地文学こそ「あいだの文学」だとして在日コリアン作家の金時鐘、梁石日、金石範の作品にアプローチする。 コロナの時代を「あいだ」で読み解き、感染症は文明と文明の「あいだ」から発するとか、カミュの「ペスト」から、言葉もまた感染し人を殺すしイデオロギーも同様だという指摘も鋭い。 そして、近現代が断ち切ってきた関係性を再発見したり再生したりしながら、脱西洋的な様々な「あいだ」を媒介して共生の文化を創造するという提言は、新自由主義を背景にするグローバリズムのもたらした危機的状況を打開する鍵ともなるのだ。コロナ禍ならではのインパクトのある一冊だ。(のがみ・あきら=編集者・評論家)★たかはし・げんいちろう=作家・明治学院大学名誉教授。著書に『優雅で感傷的な日本野球』(三島由紀夫賞)『日本文学盛衰史』(伊藤整文学賞)『さよならクリストファー・ロビン』(谷崎潤一郎賞受賞)『ゆっくりおやすみ、樹の下で』『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史』『たのしい知識』『「ことば」に殺される前に』など。一九五一年生。★つじ・しんいち=評論家・文化人類学者・明治学院大学名誉教授。「ナマケモノ倶楽部」世話人、「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表。著書に『スロー・イズ・ビューティフル』『常世の舟を漕ぎて』、共著に『降りる思想』『弱さの思想』など。一九五二年生。