――心理学に基づき、実践に活用される絵本を紹介――増田梨花 / 立命館大学教授・臨床心理学週刊読書人2021年1月1日号絵本がひらく心理臨床の世界 こころをめぐる冒険へ著 者:前川あさ美/田中健夫出版社:新曜社ISBN13:978-4-7885-1694-6 今、世界中で「新型コロナウイルス感染症」が流行り、今後も収束の目途はたたず、感染予防を行いながら日常生活を送る「ウィズコロナの時代でのニューノーマル(新しい常態)」という、何とも表現し辛い宙ぶらりんな世界で私たちは生かされている。私たちは、まさに計り知れない不気味なコロナ禍の樹海に迷い込み、方向性が見えないまま右往左往している、そんな状況のなかにいる。 絵本はこれまで保育や教育の現場で、人の情緒発達に寄与するツールとして、古くから活用されてきた。本書は、そのような得体のしれない恐怖が充満している樹海に迷い込んでしまった私たちを、より安全で安心な「母なる存在が傾けてくれる愛」に包まれた「絵本の森」のフィールドへと誘ってくれる。本書は心理学の理論に基づいて、実践場面に活用される八〇冊以上の絵本を「道標」として紹介している。二人の著者が「道標」となる絵本とどのように関わり、絵本を紐解き、大学教育やセラピーのなかで活用してきたのかを丁寧にわかりやすく、心理臨床の視点から、そして時には温かなまなざしで見守る親の視点から記述している。 PartⅠでは道標となる様々な絵本を通して、「絵本の主人公以外の視点から物語を読み直していくこと」、「ステレオタイプな思考」を持たずに絵本を読むことという課題が読者に投げかけられる。心理臨床を学ぶ際には、他者の視点から他者が体験している世界を視て感じることが大切であるという。「木を見て森を見ず」という諺のように、描かれた視点からだけで物事を思考するのではなく、それ以外の視点を多く持ち、多様な捉え方をすることが非常に重要であることや、実は絵本を活用して、存分にその力を鍛え、育てることができるという「絵本の可能性」についても知ることができる。 PartⅡでは「子どものこころにふれる」ことの大切さを説く。子どものもつ万能感と開放性、独りになった心細さや寂しさ、大人に守られ支えられてもらったときの安堵など、子どもの心情と重なる場面を多くもつ絵本を通して、子どもの「こころをめぐる冒険」へと読者を誘ってくれる。ここからは、子どもたちが持つ「子どもの世界」を成人である私たちも共有することができる可能性を大いに感じることができるのである。 PartⅢの「人生を生きぬく力」は、まさにコロナ禍により、世の中の様々なことが変化する苦難の時代をどのように生きていくかという課題にもつながっているパートだ。ここでは「孤立」と「孤独」がテーマとなっている絵本が数多く紹介され、「孤独」の必要性や「孤独」であることが人間を成長させるといった一種のパラドックスのようなものが絵本を通して描かれていく。「孤独」であることは避けるべきこと、できればなりたくない事態であると考えてしまう私たちにとって、一つの新たな視点が与えられるのではないだろうか。 PartⅣ「傷ついたこころの回復」では、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」の主人公たちも体験した、虐待、いじめ、トラウマといったテーマの絵本、映画、児童文学が多数紹介される。「人生を生き抜く力」を与えるだけでなく、「傷ついたこころを回復させる力」を絵本は持っている。ヘンゼルとグレーテルの話は最後に魔女を倒すけれども、「森の奥のお菓子の家で二人は仲良く暮らしました。めでたし、めでたし!」とはならない。彼らは心身ともに逞しく成長し、魔女の宝物をもって彼らの家に帰還する。主人公と共に絵本の世界に没入し、異世界とはいえ様々な辛い体験を経て、現実世界(現実の家)に戻るプロセスは、今後大人と子どもが共同して何かに立ち向かう希望のエネルギーになるだろう。PartⅣの14章「トラウマとレジリエンス」では、虐待やいじめ、事件や事故、災害などの体験から、命を脅かしこころに傷を与えるようなトラウマティック・ストレスやサイバーズギルドについて、東日本大震災で子どもを失った親たちの手紙をもとにして描いた絵本を用いて考察される。いまだ行方不明の子どももいる中、未来に向かって生きていこうと覚悟を決めた親たちもいれば、まだまだ自分の子どもの死を受け入れることができない複雑な心境の親たちもいる。著者らによれば、「亡くなった子どものためにも、遺された家族のためにも、前進しようとする親の姿を絵本は届けてくれる」のである。 PartⅤ「『あたりまえ』とは何か?」では、LGBTQなども取り上げられ、「『普通』とはなにか」という「確固たる正解」のない問いに向き合うこと、またそうすることで新たに世界が開けてくることなどが述べられている。この問いを自問し続けることが人生であり、まだ見ぬ自分の可能性の芽をつぶさずに挑戦し続けることこそが大事なプロセスであると絵本の言葉を借りて説く。 本書は、絵本を用いてセラピーを行っている心理臨床家のみならず、これから心理療法を学んでいこうとしている学生たち、若いセラピストや経験のあるセラピストにとっても読み応えのある書籍である。また、老若男女問わず、絵本に関心がある人、ない人も、著者らの「絵本の森の寄り道」を歩いていくと、コロナ禍の樹海の不安からしばし解放され、温かな「至福の時」を味わうことができるはずである。(ますだ・りか=立命館大学教授・臨床心理学)★まえかわ・あさみ=東京女子大学現代教養学部教授・臨床心理学。臨床心理士。著書に『傷つきへの心理的援助』など。★たなか・たけお=東京女子大学現代教養学部 教授・臨床心理学。臨床心理士。編著に『心をみつめる養護教諭たち』など。