――熊楠を歴史空間の中に位置づける――松居竜五 / 龍谷大学教授・比較文学・南方熊楠研究週刊読書人2020年4月24日号(3337号)南方熊楠のロンドン 国際学術雑誌と近代科学の進歩著 者:志村真幸出版社:慶應義塾大学出版会ISBN13:978-4-7664-2650-2南方熊楠の研究を取り巻く状況は、一九九〇年代以降に和歌山県田辺市の旧邸でおこなわれてきた資料調査によって、大きく変貌した。熊楠の没後、遺族の手によって奇跡的にほぼ完全なままで土蔵の中に残されてきた蔵書、ノート類、標本などが、一つ一つ丁寧に記録され、解析されることとなった。 二十代から三十代前半の十数年間をアメリカとイギリスで過ごした熊楠の海外での活動とその後のつながりも、資料による裏付けが急速に進んだ領域である。特に『ネイチャー』と『ノーツ・アンド・クエリーズ』(以下『N&Q』と表記)という二つのロンドン発行の雑誌上での熊楠の活躍は、二〇〇五年と二〇一四年に集英社から出版された全訳によって、その実態がかなり明確になった。 志村真幸氏は、この全訳作業の『N&Q』篇で中心的な役割を果たすなど、近年、イギリスでの南方熊楠の活動に関する研究を牽引してきた人物である。また、ここ二・三年の内に博士論文を改稿した『日本犬の誕生』や多数の共著を刊行しており、近代史に関する広範囲な知見を持つ研究者として知られてきている。本書は、そうした研究上の蓄積に基づいて、雑誌を中心とする当時のイギリスの文化史の中に南方熊楠を位置づけようとする意欲作である。 志村氏によれば、十九世紀後半のイギリスは日本や中国などに対する関心が一般に広がった時期であった。一八九二年にロンドンにやって来た熊楠は、そうした状況の中で、『ネイチャー』誌に「東洋の星座」を発表することで、イギリスの学界へのデビューを果たした。その影には、天文学者のノーマン・ロッキャーが創刊した『ネイチャー』誌の、当時の掲載の傾向を分析するという周到な準備があった。 以後、熊楠は和漢の文献に通じた東洋からの情報提供者として、『ネイチャー』誌上で確固たる地位を築いていく。また、一八九九年からはフォークロアに関する情報交換誌の『N&Q』への投稿を開始した。生涯を通じて熊楠が発表した英文論考は『ネイチャー』に五一篇、『N&Q』には三二四篇に上った。その他にも投稿されたものの未掲載の論文が多数あったことや、こうした活躍を背景として熊楠が国際的な学問活動をおこなったことが、本書では詳細なデータとともに指摘されている。 志村氏によれば、熊楠に舞台を提供したこれらの雑誌の隆盛には、イギリスにおけるアマチュア学者の層の厚みが関係している。当時のイギリスでは、比較的に社会階層が高く、時間と向学心を持ち合わせたアマチュア学者の方が、学問を職業とするプロよりも、学界での主導権を取りやすい傾向があった。『N&Q』には論文を量産したアマチュアの投稿者が多く存在しており、熊楠もその一人であるとする志村氏の分析には説得力がある。 このような分析を通して、志村氏は熊楠の活動が当時のイギリスの学問の潮流とうまくかみ合っていたと結論づける。熊楠はけっしてこれまで言われてきたような「孤高、特異」の学者なのではなく、「まさに時代の子だった」とする志村氏の見解は、今後の研究のスタンダードと成り得るものであろう。 本書において、志村氏は熊楠を歴史空間の中に位置づけるという、みずからの方法論を自覚的に選択している。一方では、そのことにより、熊楠の学問の内容や人物像についてはあえて深掘りしないという限界が設定されていることにも、読者は注意しなければならないだろう。南方熊楠を理解するという意味でも、当時のイギリスの学問と文化を理解するという意味でも、読者はここから出発してさらに自分の興味を展開する必要がある。本書は、そのための欠くことのできない基盤を提供する著作としてとらえられるべきであろう。(まつい・りゅうご=龍谷大学教授・比較文学・南方熊楠研究)★しむら・まさゆき=南方熊楠顕彰会理事・南方熊楠研究会運営委員・慶應義塾大学非常勤講師。京都大学大学院博士後期課程修了。著書に『日本犬の誕生』など。一九七七年生。