――完全版とはまた違った価値のある一冊――衣川将介 / 神戸市外国語大学英米学科准教授・アメリカ文学週刊読書人2020年10月2日号〈連載版〉マーク・トウェイン自伝著 者:マーク・トウェイン出版社:彩流社ISBN13:978-4-7791-2676-5「トム・ソーヤーの冒険」などの作者として知られる米国作家マーク・トウェインは、自伝のために膨大な量の原稿を残してこの世を去った。その遺稿には、「自伝の出版を死後百年間禁ずる」という特殊な条件が付与されていた。百年後も読者がいるだろうという大胆不敵な作者の予想は見事に当たり、二〇一〇年に出版された七三六ページに及ぶ長大な完全版自伝の第一巻(計三巻)はベストセラーとなった。 出版禁止の遺言は、しかし、厳密に守られていたわけではない。完全版以前にも、遺稿を部分的に活用した自伝が四種類出版された。その内の一つに、生前トウェイン自身が自伝の一部を雑誌に連載したバージョンがある。本書は、この連載を一冊にまとめたものである。完全版が出版された今、連載版をあえて手に取る理由はないという声もあるだろう。しかし、連載版には完全版とはまた違った価値がある。 連載版は、自伝の構想に関する作者の考えを知る重要な手がかりである。連載版はトウェインが出版過程に直接関わった唯一の自伝であるため、彼の意図を最も明確に反映した自伝であると考えられてきた。訳者もこの見方を踏襲している。ただ、近年、完全版の編集者であるハリエット・エリノア・スミスによって、連載版への作者の関与が、従来の想定よりかなり少なかった可能性が示唆されている。関与の程度に議論の余地があることは否めない。しかし、連載版が自伝に対する作者の姿勢を知るための貴重な資料であることに変わりはない。 完全版には、読みにくさという短所がある。人生のハイライトを時系列に並べたような自伝とは対極のものとして自らの自伝を構想したトウェインは、その大部分を口述筆記で作成した。型に縛られない自由な語りこそが自然な自己の姿を描き出す最良の手段と考えた彼は、気の向くままに話題を変えながら、過去と現在を自由に行き来する形で口述を進めた。作者の意図をできるだけ正確に反映させたと言われる完全版は、無秩序な構成をそのまま維持している。思考の断片を即興で繫いでは切り離す万華鏡のような語り口は臨場感に富む反面、冗長で一貫性に乏しい。完全版の編集を手がけたマーク・トウェイン・ペーパーズの編集長ロバート・ハーストでさえ、「飽きたら飛ばし読みしてくれ。トウェインもそうアドバイスしただろう」と、その読みにくさに太鼓判を押している。 連載版の自伝は、時系列に沿わない構成を維持しつつ、作者の人生の要点をかいつまんだ内容となっている。生い立ち、家族構成、作家としての修行時代等、基本的な情報が把握しやすい。トウェインの人生を外観したいのなら、まずは連載版を読むのが無難だろう。 連載版のもう一つの特徴は、亡くなった家族の思い出が強調されている点である。特に、二十四歳で急死した長女スージーの影が濃い。二十五章中九章は、スージーが十三歳の頃に書き始めた父の伝記からの引用ではじまり、その引用を手がかりにトウェインの連想が展開されていく。他にも妻や兄をはじめ、近親者の死に関する記述が目立つ。ただ、自伝全体のトーンはむしろ明るい。スージーの目を通して浮かび上がるトウェインの姿は、優しく、ユーモラスで、そしてどこか可愛い。汚い言葉を使って妻に怒られたり、自身に対するスージーの賛辞を自慢げに紹介したりと、連載版のトウェインにはとかく愛嬌がある。家族について語るトウェインは実に生き生きとしていて、そして実に寂しそうだ。家族を語り、家族を通して語られるトウェインに焦点を当てた連載版自伝からは、「他人向け」ではない無防備な作者の姿が見え隠れする。(里内克巳訳)(きぬがわ・しょうすけ=神戸市外国語大学英米学科准教授・アメリカ文学)★マーク・トウェイン(一八三五~一九一〇)=アメリカ合衆国の著作家・小説家。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ。旅行記『イノセンツ・アブロード』で文名を確立し、南北戦争後のアメリカ文学を代表する書き手としての活躍が本格的に始まる。著書にトム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』『王子と乞食』『シェイクスピアは死んでいるか?』『アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー』など。