――多彩な材料、移り変わる意味、生きた知恵――立石弘道 / 日本大学大学院芸術学研究科講師・現代英国文学/比較文化・文学週刊読書人2020年7月10日号(3347号)世界ことわざ比較辞典著 者:日本ことわざ学会出版社:岩波書店ISBN13:978-4-00-080321-2本書はタイトル通り、世界のことわざを比較した辞典である。前書きによれば、まず日常的に使用頻度数の高い日本のことわざ一〇〇〇の中から見出しとしてさらに三〇〇を厳選している。さらにそれに類似した外国のことわざを二五ヶ国から六五〇〇以上集めて、日本のことわざ一つに対して平均二十二のことわざを関連付け、さらに原語を付記している。 世界のことわざ辞典の類はすでにフランスのラルース社が編纂し、翻訳もある。この辞典でもかなり他国言語のことわざを知ることができる。愛・怒り・子供・権力者など内容別のことわざなので、自分の言いたい事項をことわざで探し、それを比較できるのでとても便利である。 一方、岩波の辞典は日本語がまず核になり、それに類似・反対・裏返しなどのことわざを集めたので、ラルース的なコンセプトよりは比較の醍醐味を味わうことができる。文章化されていないアフリカのことわざなどは貴重なコレクションである。執筆者も言語学者だけでなく、民族学者、歴史家、美術史家、演劇史家、アジア文化研究家、外交官、翻訳家など多分野の専門を含む二十三人の国内外の執筆者が加わっているのが特色である。 ここで頁を追っていくと耳慣れた日本のことわざが次々に世界中のそれと比較されていて興味が尽きない。一例をあげると悪影響についての「朱に交われば赤くなる」が、全三〇〇例中最多の二十四言語に同様なことわざがあることが分かる。日本語での類例として「善悪は友による」、「麻の中の蓬」、「血に交われば赤くなる」、「墨に染まれば黒くなる」、反対例として「一匹狼」が載せてある。そのあとに時田氏の解説によってこのことわざの初出の中国での出典、日本での安土桃山時代の初出の出典が明記される。江戸期には常用された六〇例があり、明治期も使用頻度は高かったが戦後に衰退して現代では常用に届かないという。 説明文によれば外国の同じことわざでは材料が多彩で、墨・ピッチなどの類、犬・狼・牛・ライオン・虎・鳥などの動物、リンゴ・麻の植物の類、山や黄金、土鍋から、病人・悪人・泥棒・阿呆などもあるが、なかでもリンゴの広がりが目を惹くという。この材料はそれぞれのお国柄を示し、民俗学や文化人類学に興味を持つ人には研究テーマを見つける鍵になるだろう。 ここで時代・国によって意味が変わる一例を示す。「石の上にも三年」ということわざをとりあげる。「我慢強く辛抱すればいつか成功することの譬え」が本書の説明であり、英語の用例として"Patience is the key to paradise.""Perseverance is the key to suc-cess."と「忍耐」の意味が前面に出てくるのは日本語と同様である。だが私が高校で習ったこれに対応する英語は"A rollingstone gath-ers no moss."(転がる石には苔は生えない)である。勿論日本では苔がつく石は価値があるし、「石の上にも三年」と同類で、飽きっぽい転職好きな人への戒めのことわざだと思っていた。だがアメリカではこのことわざは日本と逆で、むしろ推奨の意味で使用されるようだ。有能な人はどんどん転職してステップアップを図る。また日本では落ちこぼれにあたる人は自分が悪いのではなく勤務先が悪いから自分は伸びないと言って転職する。同じ職場に居続ける人は平凡な人だという。苔がつく石では駄目なのだ。私の友人によれば、英国では三、四〇年前までは日本と似ていたが、グローバル化が進んでアメリカの影響が強くなり、現在はかなりアメリカ的な意味で使用されるという。ことわざの意味の移り変わりには社会の要求・変遷が根強くある。 ことわざは生きた知恵として現実の世の中にピッタリの表現が多い。例えば世界中の人々がコロナ禍に苦闘する今日、「治療より予防」(英、オランダ語他)は個々人への教訓、「万事後回しにすべからず」(中国)は指導者の早急なウィルス対策など、ことわざの知恵を適用できる。しかし、クラスターの危機に無頓着な若者には、感染者急増の七月、「一寸先は闇」(日本)では通じないならば「朝歌う鳥を猫が夜くわえている」(ドイツ)といった危機感を覚えてもらいたいと思う。「人を見たら泥棒と思え」(日本)があるが、これ以上悪化し、感染爆発が起こったら、「泥棒」を「コロナ」に置き換える心理となり、人間不信の日常生活となる。しかし「警戒は安全の母」(フランス)くらいの日常に戻したいものだ。 時田氏の単著で本書の姉妹編ともいえる『岩波ことわざ辞典』(二〇〇〇年)は日本のことわざに限定して、一五〇〇例を掲載していて日本のことわざに興味を持つ人にはお勧めである。特に索引が充実していて、語句索引は五五頁、準項目索引には一六頁を割いている。この索引を利用すれば大部分のことわざの掲載頁が一目瞭然である。本書、『世界ことわざ比較辞典』では、所変われば品変わるで、各国のことわざの違いの面白さは勿論だが、グルジア語、チベット語、ネパール語などめったにお目にかかれない言語、ましてや耳にしたこともないチガ語までもが原語で表記されているので、楽しみ、比較しながら読める。ところで、巻末の索引には全掲載句六五〇〇のうち約十分の一しか載ってない。世界のことわざを後日、簡単に再検索できるように語句検索の索引を作るなどもう一工夫欲しい。(たていし・ひろみち=日本大学大学院芸術学研究科講師・現代英国文学/比較文化・文学)