近現代日本の共同性の変遷まで射程に 本多真隆 / 明星大学人文学部准教授・家族社会学週刊読書人2022年2月25日号 仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学著 者:阪井裕一郎出版社:青弓社ISBN13:978-4-7872-3499-5 かつて柳田國男は、「まずいちばんに人が気づかずにいるのは仲人という者の新たに現れてきたことである」と述べたという。本書の著者、阪井裕一郎は、柳田の言葉にならい次のように続ける。「まずいちばんに人が気づかずにいるのは仲人という者の新たに消滅したことである」と。 仲人を立てる結婚形式は明治期以降に広まったものであるという歴史的事実は意外に知られていない。江戸時代において仲人や見合いは、武士階級にみられた慣行であり、村内婚が一般的であった庶民のあいだでは、それらの必要性は薄かったといわれる。 しかし現在では、特に若い世代の読者にとっては、そもそも仲人という存在自体がピンとこないだろう。実際に仲人は、近年になって急に影が薄くなった存在である。戦後、見合い結婚の割合は漸進的に減少していったが、結婚式で形式的に仲人を立てるという慣習は存続していた。リクルート社の「ゼクシィ結婚トレンド調査」によれば、一九九四年に結婚式で仲人をたてた割合は六三%だったが、二〇〇四年には一%になっている。なぜ仲人は近代以降に浸透し、そして近年になって消えてしまったのか。そしてそれは日本社会の変容とどのように関連しているのか。こうした仲人の生成と消滅のプロセスを、歴史資料の掘り起こしとともに追跡し、その意味を問い直すのが本書である。 本書は序章終章含め全六章で構成されており、第一章ではまず、民俗学の知見を中心に庶民の婚姻習俗と仲人の普及過程が取り上げられる。明治中期以前の村落社会で結婚を司ったのは、若者組などの同輩集団だった。しかし夜這いなどの性風俗とも関わりが深かった同輩集団は、明治期以降に「野蛮」の烙印を押されはじめ、国家主導の儒教道徳の浸透や遠方婚姻の普及とともに衰退していく。かわりに台頭してきたのが、国家により新たな位置づけを与えられた「家」と、それぞれの「家」のあいだを取りもつ仲人だった。 第二章では、明治大正期における媒酌結婚の規範化過程が辿られる。著者がここで着目するのが、「家族主義」と「個人主義」の相克という、近現代日本の「家族」言説を彩る思想的背景である。著者によれば媒酌結婚は、単なる「家」の論理の押しつけではなく、当時台頭しつつあった「個人主義」にも配慮したものだった。仲人は「父母の同意」と「個人の意思」の両者を尊重する、つまり「家族主義」と「個人主義」の妥協の産物として、「正しい恋愛」や優生学などの近代的な装いをまといながら規範化されていったという。 続く第三章では、結婚媒介所と国家統制の関連が論じられる。明治期の都市化とともに広まった結婚媒介業は、一九二〇年代以降は政策面でも着目されはじめ、戦時期には国家に適した国民を生みだす機関として期待されるようになった。町会や隣組などを通して形成された結婚斡旋網は、人びとの私領域に際限なく侵入しようとする、近代日本の公私のあり方を想起させる。 最後の第四章、終章では、仲人が消滅する過程とその意味が検討される。著者によれば仲人の衰退は、戦後日本における中間集団の弛緩と関連しているという。戦後の恋愛結婚の普及とともに仲人は形骸化していくが、企業の上司や親族を中心に形式的に仲人をたてる慣習は一九九〇年代まで存続していた。しかし二〇〇〇年代以降の経済不況と就労構造の変遷に伴う構造的、規範的な個人化の進行により、その慣習も廃れていった。著者はこうした仲人の歴史的変遷を踏まえ、社会構造の変化を踏まえない昨今の婚活事業に警鐘を鳴らしつつも、結婚を何らかのかたちで社会が包摂する「仲人機能の再編成」を提唱する。 本書は、仲人の歴史を紐解きながら、近現代日本の共同性の変遷までを射程に入れている意欲作である。とはいえ蛇足ながらコメントを付け加えると、「個人」をめぐる議論にやや課題を感じた。「仲人機能の再編成」も重要な指摘ではあるが、パートナー関係の形成と社会的包摂が連動して論じられているのは、アトム化した個人の社会的包摂はパートナー関係を通して行われるという、著者のバイアス(もしくは家族主義的な日本の文脈)がかかった議論ではないだろうか。しかしこれらの問題は、本書の示唆を通して、日本社会の共同性の未来を考えていく者全てが引き受けていくべきものだろう。ぜひ一読を薦めたい。(ほんだ・まさたか=明星大学人文学部准教授・家族社会学)★さかい・ゆういちろう=福岡県立大学専任講師・家族社会学。慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(社会学)。著書に『事実婚と夫婦別姓の社会学』など。一九八一年生。