――邦楽史上もっとも創造性が爆発していたエポックのキーマン――栗原裕一郎 / 評論家週刊読書人2020年4月3日号(3334号)音楽と契約した男 瀬尾一三著 者:瀬尾一三出版社:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスISBN13:978-4-636-96305-2中島みゆきの編曲を一手に引き受けているアレンジャー。そう記憶している人がいちばん多いだろうか。とはいえ、瀬尾一三は、一般的な知名度がそれほどある人物ではない。錚々たるキャリアに比べると不自然なほど影が薄い。本書に先行して第三集までリリースされているアンソロジーCD『時代を創った名曲たち〜瀬尾一三作品集 SUPER digest』を聴けばわかるように、ある世代以上で、瀬尾の作った音を耳にしたことがない人は極めて稀なはずである。「あれもこれもそうだったのか!」と膝を打つ曲が目白押しで膝が腫れ上がるに違いない。「彼はプロデューサー、アレンジャーとしてきわめて多くの作品を残しているにもかかわらず、〝プロデューサーの時代〟も特別に脚光を浴びることはなく、一貫して影の人であり続けている。/しかし、もうそろそろ瀬尾一三の50年に及ぶ〝仕事〟について振り返ってみてもよいのではないか」構成を担当した前田祥丈のそんな宣言で本書は幕を開ける。編曲家やエンジニアといった音楽産業の裏方へ光を当て、日本のポピュラー音楽の歴史を、さらに掘り下げて更新しようという動きがこの数年活発になっている。嚆矢は二〇一六年に発表された梶田昌史他の『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』(DU BOOKS)だ。本書が企画された背景には、瀬尾の音楽家生活が五十年という節目を迎えたことに加えて、そうした趨勢を受けた面もあったのではないか。瀬尾一三の軌跡をごくかいつまむとこんな具合である。大学在学中から関西フォークシーンで頭角を現し、楽曲提供の仕事を始める。ひょんなことから、作曲家、音楽プロデューサーの村井邦彦に声を掛けられ、村井の興したアルファミュージックに入社。ディレクターとして現場経験を積んだ後、アレンジャーとして独立し、以降、途切れることなく、編曲家、音楽プロデューサーとして第一線で活躍している。斉藤哲夫、吉田拓郎、長渕剛、CHAGE&ASKA、中島みゆきなど、がっぷりとタッグを組んだミュージシャンとの仕事を振り返るのが本書の柱だ。後半には、松任谷正隆、山下達郎、亀田誠治との対談が収録されている。中島みゆき、吉田拓郎、中村中が瀬尾についてしたためた一筆が章の合間を彩っていたりもする。印象深いのは、初期の、アマチュアに毛が生えたような状態でプロの現場という渦中に飲み込まれていく怒濤ぶりだ。音楽の専門教育を受けていない瀬尾は、何もかも現場での見よう見まねで覚え(ストリングスのアレンジまで!)凌いでいく。そんな無茶で乱暴なやり方がありえたのは、音楽産業が大きな転換点を迎えつつあった動乱の時期だったからだ。この時期、一九七〇年前後の音楽シーンというのは、邦楽史上もっとも創造性が爆発していたエポックであり、瀬尾がそこで人々を結び付けるキーマンの役割を果たしていたこともわかる。巻末には作品リストも掲載されている。細かい文字でびっちり組まれた表が実に六十ページにわたって掲載されていて圧巻である。「僕は神様と契約しているんですよ」 取材が終わりに差し掛かった頃、瀬尾は構成の前田にそう漏らしたそうだ。「音楽以外のものは欲しがらない」「その代わりに音楽の仕事だけはやらせてくださいと」ストイックとはちょっと違う「契約」と呼ぶ独特な自覚を遵守して、瀬尾は音楽に対峙し続けてきた。天賦の才もないのに好きというだけで、と瀬尾は謙遜するけれど、作品群の圧倒的な質と量が、彼の言葉を裏切っている。(くりはら・ゆういちろう=評論家)★せお・いちぞう=音楽プロデューサー・作曲家・編曲家。一九六九年フォークグループ「愚」として活動。一九七三年ソロシンガーとしてアルバム『獏』を発売。その後、日本のポップス、ロックシーンの黎明期から現在まで一〇〇を越えるアーティストたちの作品のアレンジ(編曲)やプロデュースを手掛ける。一九四七年生。