――目をそむけたくなるにもかかわらず、見逃すまいと凝視する心の眼――尾西康充 / 三重大学教授・日本近代文学週刊読書人2021年10月15日号人間襤褸/夕凪の街と人と 大田洋子原爆作品集著 者:大田洋子(著)・長谷川啓(編)出版社:小鳥遊書房ISBN13:978-4-909812-67-4 広島で生まれ育った人びとの気質を理解するキーワードとして「安芸門徒」があげられる。鎌倉時代末期から続く浄土真宗本願寺派の影響は今日もなお、鮮やかな色紙を竹に貼って作る盆燈篭にみられる。 歴史的にみれば、堕胎を禁じた教義によって人口が増えすぎ、国内外へ出稼ぎに出る者が目立つようになった。私がサンパウロで出会った元憲兵の被爆者も、戦後移住し、雑貨店を開いた。店先の床几に腰かけながら、船便で一カ月遅れで届く雑誌「世界」を読んでいた姿を想い出す。彼が会長を務めていたブラジル被爆者平和協会は、二〇二一年一月、会員の高齢化を理由に解散した。 他方、放射性物質を含む雨を浴びて健康被害を受けたと八四名の住民が訴えた「黒い雨」訴訟は、二審の広島高裁で原告全員を被爆者と認める判決が出され、二〇二一年七月二六日に菅義偉首相が上告しない方針を明らかにした。 このように被爆者を取り巻く状況が変化するなか、本書が刊行されたことの意義は大きい。 自己の被爆体験にもとづいて執筆された大田洋子の小説は、全編を通して圧倒的なリアリズムに貫かれている。想像を絶する惨状はしばしば「阿鼻叫喚の地獄」と表現されるが、それは被爆直後の現実を知らない人が使う言葉である。 大田によれば、「阿鼻叫喚の気配はどこにもないのだ。だまって静かに死んで行く人達、電光で焼いたひどい火傷は神経が麻痺して、ひりくする劇痛は感じないとか聞くけれど、それにしても負傷者の寂として静かなことは一層心をうつのである」という(「海底のような光」)。 たとえどれほど想像力豊かな作家が存在しようとも、これは自分の耳でたしかめた大田でしか描けない光景であった。 女性被爆者の酷く焼けただれた身体を描く際にも、大田のリアリズムが発揮されている。『人間襤褸』に登場する加治多保子は、優れた水泳選手で、女子挺身隊に徴用されていたのだが、熱線と爆風を受けて、「もう一人の人間と思えぬ、醜い肉塊」と化していた。 多保子の「紺絣の上着の胸」は裂け、「乳房の形をしたどす黒い、どろどろの血と肉の塊り」が垂れ下がっていた。えぐり取られた乳房の跡に「暗い血潮の穴」が開いていた。もんぺの股も裂かれ、「一筋赤く、木綿糸を引いたような女の象徴がほの見えた」。彼女は「可愛いらしい女の象徴を、瀕死の状態ゆえに、恥かしがる風もなく、誇示しているほどの素直さで、露出している」のであった。 これは大田が他の被爆者から聞いた話が元になっているのだが、目をそむけたくなるにもかかわらず、見逃すまいと凝視している大田の心の眼がある。大田でしか描けない女性の身体と生理、恥じらうことさえ忘却してしまった瀕死の女性の痛ましい心理をとらえ切っているのである。 男性の多くが召集された後、都市に残っていたのは女性や子ども、老人たちであった。非戦闘員の一般市民が巻き込まれた戦争の犠牲は、まさに大量虐殺と呼ぶにふさわしい。やせこけたユダヤ人女性が乳房や陰毛をあらわにしたアウシュビッツの記録写真と同じように、大田の小説は女性の身体を通して歴史の真実を証言しているのである。 文芸評論家から大田の小説に対して〝文学ではない〟という痛罵がなされ、文壇受けのするような「小説らしい小説」は書けないと彼女が苦しむことになったのだが、未曾有の大量虐殺の罪を犯した人類に、果たして「小説」は可能だろうか。文壇作家の傲慢さが伝わるエピソードである。 大田によれば、「小説を書く者の文学の既成概念をもっては、描くことの不可能な、その驚愕や恐怖や、鬼気迫る惨状や、遭難死体の量や原子爆弾症の慄然たる有様など、ペンによって人に伝えることは困難に思えた」と率直に告白している(「『屍の街』序」)。『夕凪の街と人と』では、基町市営住宅と相生土手の不法住宅、比治山のABCC(米軍原爆障害調査委員会)の「豪勢な」建物が対比されながら、敗戦後「国内植民地」となった街に多種多様な人びとが集まっていた光景が描かれている。 一九七〇年におこなわれた広島大学の調査によれば、およそ一千世帯三千人が集住していた基町相生通りの三分の一が被爆者世帯、五分の一が外国籍世帯であったとされる。大田の小説には、警防団長や大陸放浪からの帰還者、朝鮮半島出身者、元軍人、物理学者など、異なるタイプの人間が多数登場している。 本書巻末の解説を執筆した長谷川啓氏は、現代日本を取り巻く社会情勢を視野に入れながら、大田の文学の意義を再確認し、「傷痕から這い上がろうとしながら襤褸と化してなかなか回復できない被爆者たちのポリフォニーを表象化」した点を評価している。「作家の眼と耳であるほかに、自分はなにものでもない」という意識に徹することによって、個性と多様性に注意を払った大田は、眼前の人びとを《被爆者》として一括りにしてしまう、もう一つの暴力を回避できたのである。(おにし・やすみつ=三重大学教授・日本近代文学)★おおた・ようこ(一九〇三―一九六三)=作家。広島生まれ。「人間襤褸」で女流文学賞受賞。「屍の街」「半人間」「夕凪の街と人と」など、多くの被爆の体験を記録した。★はせがわ・けい=女性文学研究者。著者に『佐多稲子論』『家父長制と近代女性文学』、編集『屍の街 大田洋子原爆作品集』など。