――インタビューと証言者の話、貴重な第一級の資料本――山下賢二 / 「ホホホ座」店主週刊読書人2021年12月10日号風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年著 者:田家秀樹出版社:KADOKAWAISBN13:978-4-04-111884-9 キャリアと業績に溢れた人が記事になるとき、大概はそのバイオグラフィーと代表的な仕事のエピソードを振り返ることになる。 作詞家・松本隆さんも、インタビューではいつもはっぴいえんどのことから始まり、初期の名作『木綿のハンカチーフ』のこと、それから松田聖子を軸に八十年代の歌謡曲黄金時代のことなどを中心に聞かれることになる。 この本のインタビューも当初はそんな感じで企画されたのかもしれない。しかし、著者・田家秀樹さんが他のインタビュアーと大きく違うのは、はっぴいえんど時代の松本隆の最初の「業界の洗礼」ともいうべき出来事、いわゆる「英語日本語論争」(日本語はロックのリズムにノルかという内田裕也らとの対談)の舞台となった雑誌「新宿プレイマップ」の唯一の編集部員だったという歴史的事実だ。 松本隆を取り巻くたくさんの証言者がこの本には登場するが、実は著者自身もその資格があるという稀有な評伝である。 この本で頻繁に出てくる言葉がある。「通底」と「あっち側、こっち側」だ。前者は松本隆の仕事ぶりであり、後者はその仕事で関わった人物たちのポジション。そして、もうひとつの大事なキーワードである「デラシネ」(根なし草)をそこに加えると、松本隆という人の気質が透けて見えてくるようだ。 それらを絡めながら、物語は「同時代を生きてきた著者」によって、これまで発表されてきたどの松本隆作詞ヒストリーよりも深淵に進んでいく。 松田聖子に至っては、実に四章に渡ってその軌跡とエピソードが綴られる。そこでわかってくるのは、国民的アイドルとなった松田聖子という芳醇な土壌で、松本隆がやりがいのある「大衆への実験」をし続けたという検証結果だ。歌詞はもちろん、作曲家の選別、アルバムコンセプト、歌い方などにまで神経を注ぐ。それは刺激的ではあるが、リスクもあるスリリングな体験だったのではないだろうか。日本の音楽シーンを名実ともに牽引しているという選ばれし人間だけの自覚。当時のことを彼は「歌番組は自分の曲が多くって通信簿見てるみたいで嫌だったから見ないようにしてた」と回想している。 一番の意外な掘り出し物は、あのねのねのアルバム『共鳴』の紹介だ。このアルバムは活動を一時休止していたあのねのねの復帰作として一九七六年に作られたもので、全作詞が松本隆、全作曲が加藤和彦、全編曲が瀬尾一三でナッシュビル録音という豪華なアルバム。この三者による仕事はこれが最初で最後らしい。今回取り上げられなかったら、ほとんどの人が知らない歴史だっただろう。他にも、岡田奈々を取り上げることで、そこで初めて歌詞に登場した「ズック」という単語の系譜を紹介している。 岡田奈々『若い季節』~原田真二『てぃーんずぶるーす』~近藤真彦『スニーカーぶる~す』(ここではあえてスニーカー)~藤井隆『絶望グッドバイ』で一つのキーワードの昇華を改めて知ることができる。また、森山良子、加山雄三、山瀬まみ、大竹しのぶ、矢沢永吉など普通のヒストリー本では出てこないであろう提供詞の話も登場する。また、何人もの歌手が、歌入れの際、歌詞に感極まってしまい、歌えなくなるという「松本隆あるある」には素直にびっくりした。 さらに目から鱗だったのは、定説となっている初めての他人への提供詞が、チューリップの『夏色のおもいで』ではないという事実。正解は、本書で確かめていただきたいが、こうしたこと一つをとっても、貴重な第一級の資料本といえるだろう。 そして僕は今、なぜか、プライベートで松本隆さんと付き合いがある。そんなことになろうとは想像もつかなかった。普段、京都で会う松本さんは何の気負いもなく、気楽に話ができる存在だ。あまりにも距離が近いのでたまにその人が「松本隆」ということを忘れそうになる。 しかし、目の前のその人は、自分の想像では及ばない風景をたくさん見てきた人なのだと再認識させてくれるに充分な本だった。(やました・けんじ=「ホホホ座」店主) ★たけ・ひでき=音楽評論家・ノンフィクション作家。編集者、放送作家を経て、音楽番組のパーソナリティとしても活動。著書に『陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー 』『吉田拓郎 終わりなき日々』など。一九四六年生。