坂上秋成 / 評論家、作家週刊読書人2016年9月23日号コンビニ人間著 者:村田沙耶香出版社:文藝春秋ISBN13:978-4-16-390618-8『コンビニ人間』は秩序を巡る小説である。 主人公の古倉恵子は、十八年間コンビニでアルバイトとして勤務している三十六歳の女性だ。彼女は幼い頃から、人間らしい感情を持てない異常者として扱われてきたが、それでもどうにか社会の成員として暮らしていくために、知り合った人間の喋り方や表情を模倣し続けている。そこには異常というレッテルを張られた人間が、普通とされる人間を擬態することで秩序の中に自分を位置付けるという構造が見て取れる。 古倉にとって、コンビニとは常に正常さが保たれる空間だ。並べられる商品や働く人間が変わっていこうと、店員としての役割を皆がこなしている限り、そこでの秩序が崩れることはない。言い換えればそれは、中で働く人々の個性など関係なく、全員が店員として均質化され、システムの中に組み込まれていくような環境である。 異常とされる主人公が普通に生きるための空間として、コンビニという身近な場所が矯正施設のように機能しているという現代的寓話性をここに読み取ることは容易である。しかし本作の文学的達成は、そうしたシステムが、矮小な個人のジェンダー的変化によっていともたやすく崩壊する過程を描き切った点にある。 古倉が働くコンビニに、アルバイトとして白羽という三十五歳の男が入ってくる。彼もまた明確な社会不適合者だが、彼は普通を装うことができない。彼はアルバイトの目的を婚活だと言い切り、強いオスが優れたメスを手に入れるという点において現代社会は縄文時代と変わらないという持論を展開することで、周囲を困惑させてしまう。結局、彼は様々なトラブルを引き起こしアルバイトをクビになるのだが、その後、彼は古倉との同居を始めることになる。 古倉と白羽は、ともに社会不適合者だが、男としての社会的役割を果たし他人に馬鹿にされることを避けたいという卑小な自意識を抱えている白羽に対し、古倉の方は自分が異物としてコミュニティから排除されなければそれでいいと考えている。彼女は親族や古い友人たちによる「真っ当な人間なら結婚するべき」という価値観の押しつけをかわすために白羽を道具として用いようとしただけで、そこに恋愛感情や性欲は存在しない。 だが、古倉の考えとは無関係に、コンビニというシステムは彼らの同居によって狂い始めてしまう。それまでは店員としてコンビニ空間に奉仕していたはずの人たちが、古倉と白羽の関係についてワイドショー的な興味を示し始めることで、秩序はあっさりと崩壊する。それはまさしく、均質化された店員を産み出し続けてきた労働空間の裏で、常にオス―メスというジェンダー的規範が機能していたことの証左でもある。古倉が理想としていた秩序は、ささやかな性的トピックの侵入を許しただけで壊れるほどに脆いものだったのだ。 彼女はアルバイト先を退職し、白羽に薦められるまま就職活動を行うが、最終的に自分はコンビニでしか生きられないコンビニ人間なのだという結論に至る。普通の人間を擬態して社会に溶け込むことを止め、自身の全てがコンビニに帰属していくような存在として生きることを決断するのである。 本作は現代における労働現場の本質を捉えた作品でもあるが、これまで村田沙耶香が主題としてきた異常と正常の境界、ジェンダーの抱える不気味さというテーマもまたそこには流れている。村田は『ハコブネ』において「地球とのセックスを望む女性」を描き、『消滅世界』では「セックスのない世界」を設定した。『コンビニ人間』はその二作ほど、分かりやすい突飛さを有してはいない。だが、舞台をコンビニにしたことで、私たちの生活空間へどれほど深く性的役割が根付いているのかが、これまで以上の強度を持って伝わってくる。本作に表現されているのは、世界に存在する「気持ち悪さ」を徹底して抉り出そうとしてきた村田だからこそ為し得た、性と秩序のおぞましい関係性に他ならない。(さかがみ・しゅうせい=評論家、作家)★むらた・さやか=作家。玉川大卒。著書に「授乳」「ギンイロノウタ」「しろいろの街の、その骨の体温の」「ハコブネ」「タダイマトビラ」「殺人出産」「消滅世界」など。一九七九年生。