――自分が書く物語=言葉に、自分の身=体と霊=魂を込めていく――藤井義允 / 文芸批評家週刊読書人2020年5月29日号(3341号)おおきな森著 者:古川日出男出版社:講談社ISBN13:978-4-06-518739-5「全身全霊」という言葉が浮かぶ。持っている全ての力を注いだ、ということもそうだが、何より、著者・古川日出男は文字通り、自分の身=体と霊=魂を全て使って表現をしようとしているということがひしひしと伝わる。だからこそ、僕自身のこの本を評する言葉も走ったようになってしまう。そんな人を突き動かす言葉が本書には存在している。 古川は『アラビアの夜の種族』、『聖家族』といった「メガノベル」なる長編を書いたが、本作はその上の「ギガノベル」という肩書きを引っ提げて出版された。近年では稀にみる物理的に大きい本になっている。この物理的な長さ故の「全身全霊」なのかというとそれだけではない。何より着目すべきはその内容と形式だ。 本書は最初、三つの章段(世界軸)から成り立っており、「第一の森」、「第二の森」、「消滅する海」という別れた世界の話が書かれる。またそれぞれの主人公は坂口安吾、丸消須・ガルシャ、手記を執筆している「私」だ。一人目はもちろん日本の無頼派の作家であり、二人目はコロンビアの作家、ガルシア=マルケスから連想される人物である。つまり全員が「物書き」の小説となっている。そして物語の中で、安吾はとある依頼を受け失踪者を探す探偵業を、丸消須は二人の仲間と乗った列車の殺人事件の解明を行っていく。また三人目の「私」は現在の東京で妻と暮らし、小説に関しての様々な考察をしていく中で、不思議な現象に巻き込まれる。それぞれ登場人物は現実を模しているにもかかわらず、内容はまるで現実味を帯びておらず、幻想的な世界になっているのだ。これだけ見ると本作は荒唐無稽な小説に見えるかもしれない。しかし最終的に物語は一つに収束していく。 さてそんなダイナミックな物語であるが、一貫して「物書き」を扱う小説だけあって、話は「書くこと」の深い思考へと沈潜していく。物語や小説、ものを書くこととは一体どういうことなのか、そしてまた書くことに欠かせない「読むこと」とは一体どのような行為なのかということが、三つの世界を収斂させながら描かれていく。本作はミステリでもあるため、具体的な内容の詳述は避けなければならないが、謎の解明という物語上のリーダビリティとこの「書くこと・読むこと」についての考察がまるでうねりをあげるように混合されていく様は圧巻と言わざるを得ない。 古川は言葉というものの根源的な性質に着目をして小説を書く作家である。例えば漢字一つをとってもその表意的な性質、そしてそこに付随する音なども加味して書くことを意識している。象徴的なのは木が六つついて「おおきな森」と読ませる字をタイトルに据えているところだろう。この字は実際に存在する文字ではない。作品内で安吾が探す失踪者がさまよい込んだ世界を「木よりも林よりも森よりも大きな」場所である「おおきな森」を一つの文字として表現している。これは創作されたものだが、この文字が持っている重厚さ(形式)と小説内世界に存在する失踪者が迷い込むおどろおどろしい場所(内容)を表現するために用いられているのだ。 そもそも古川日出男はただ物語を紡ぐことだけに注力している小説家ではない。自ら朗読を行ったり、他のアーティストとコラボしたり、ワークショップを開催するなど、様々な活動を行っている。それはただマルチな創作活動をしているわけではなく、自分が書く物語=言葉に自分自身の身体の動きという全身を込めているのだろう。自分の精神全部を言葉に込めて小説を紡ぐための手段として多様な活動を行っているのだ。 古川作品は人を突き動かす凄みがある。読めば彼の全身全霊を頭で理解するのではなくまさに感じることができる。読んでいくうちに、この小説にかかる残響(リバーブ)が確かに染み込んでいくのを感じる。そしてそこに共鳴を起こし、また新たな言葉が紡がれていく。(ふじい・よしのぶ=文芸批評家) ★ふるかわ・ひでお=作家。一九九八年に『13』でデビュー。著書に『アラビアの夜の種族』(日本推理作家協会賞・日本SF大賞)『LOVE』(三島由紀夫賞)『女たち三百人の裏切りの書』(野間文芸新人賞・読売文学賞)など。小説意外にも多彩な表現活動を行っている。一九六六年生。