――様々な発見に満ちた一書――荒木優太 / 在野研究者週刊読書人2021年8月13日号堺利彦と葉山嘉樹 無産政党の社会運動と文化運動著 者:小正路淑泰出版社:論創社ISBN13:978-4-8460-1615-9 本論文集をひも解く前に、二三注意すべきことがある。はじめに、この本には序文やまえがきに相当する導入部がなく、なんの断りもなくかなり専門的な論文がずらりと並べられる。ために初学者はいくらか面食らうことになるかもしれない。さらに、表題につられて二人の作家(の関係性)が主題かと思いきや、その実、川内唯彦、前田俊彦、鶴田知也、田原春次など、初期社会主義に縁のある固有名群を広く取り扱っていることはまず注記しておいていい。 勿論、分厚い編著『堺利彦――初期社会主義の思想圏』(論創社)を二〇一六年に上梓した著者にとってそのなかでもとりわけ堺利彦に情熱が傾けられていることは十二分に強調されるべきであり、さらには名の群れの紐帯をなしているのが堺ほか多くの書き手を輩出した福岡県は豊津中学校、また堺の手によって昭和六年に創設された農民労働学校といった地方共同体であることも忘れてはならない。堺利彦と葉山嘉樹が同じ中学出身ということは本書が指摘するまでまったく気にかけることはなかった。己の不明を恥じたい。 個人的な関心でいえば、鶴見俊輔がサークルイズムの思想を評価するさいによく参照していた前田俊彦に分析が割かれていたこと(第一部補論一)には大きな収穫を得た。前田は、昭和三七年に個人誌『瓢鰻亭通信』を創刊して日本の土着的な生活革命を探求しながら、ベ平連にも積極的に参加した運動家である。今日言及されるさいは戦後の活動がなにかとクローズアップされる前田であるが、本書では、その淵源が戦前の革命運動にあったと指摘している。特に注意を引くのは、昭和七年に検挙された前田が、収監中に手にとった紀平正美『行の哲学』または同著者の『知と行』の影響力を考察している点だ。平易な日本語にもとづいた「日本精神」の哲学的思考には、戦後に前面化することになる前田の反体制的理論の原型があったのではないかという仮説は極めてスリリングである。 前田の母校でもある豊津中学校は前述した通り多くの書き手を輩出したが、その登竜門となったのが同校の『校友会雑誌』であり、第二部第二章では葉山嘉樹の作文「第二学期を迎ふ」の紹介がなされていることも好事家には垂涎ものだろう。これに顕著なように、全集未収録の新資料紹介に尽力している点も本書をかたちづくる大きな特徴の一つである。ほかには、堺利彦の獄中書簡、葉山嘉樹「中学校事件」、生石久子「歴史のふるさと」、田原春次「私の故郷の記憶」などが挙がる。 あまり有名ではない女性運動家の軌跡も今日的に貴重といえようか。堺利彦の娘、堺真柄は無産婦人同盟福岡県支部を牽引するも、社会民衆婦人同盟としのぎを削って独自性を発揮できずに消えていった。或いは、アイヌ民族差別を訴え「コシャマイン記」で第三回芥川賞もとった鶴田知也、その妻である鶴田勝子。夫婦はプロレタリア文学運動のなかでもしばしば散見される片務的な関係を打ち破り、互いの人格と活動を尊重する関係を築いたというが、その上で勝子は無産派女性運動に尽力、戦後では市川房枝の立候補と初当選に貢献した。当時議論されていた「理想選挙」(支援者のカンパとボランティア活動による選挙活動)を突き通したという。 このように様々な発見に満ちた一書だが、欲をいえばこれら知見が現代社会にとってどのような意義があるのか、もう少し著者の考えを披露してくれてもいいのでは、という感想は残った。たとえば現在、斎藤幸平のマルクス論が大きなブームとなっているが、社会主義の原点的テクストではなく、日本の、しかも知名度において(幸徳秋水や大杉栄などに比べて)一段劣るような運動家に関する理解を深めることには、メジャーなものでは満たせない何かがあるのかどうか、など。勿論、研究者へのこのような要求はお門違いなものかもしれないし、或いは、それを考えるのは読者のほうであると見做すべきかもしれない。決して読みやすいとはいえないが、ここで示されたいくつもの小路はさらなる研究的更新を予感させてやまない。(あらき・ゆうた=在野研究者)★こしょうじ・としやす=福岡県立学校教員として、中学校・高等学校長を務める。政治史・社会運動史。九州大学法学部卒。編著書に『鶴田知也作品選』『堺利彦獄中書簡を読む』など。一九六一年生。